伝統を選手から選手へ受け継がせる
独自のチーム作りの設計図とは

 1996シーズンに手にした初タイトルは、アントラーズという確固たるブランドを作り上げるための先行投資が形になっていた。1994年のワールドカップ・アメリカ大会を制したブラジル代表のビッグネーム、レオナルドとジョルジーニョを獲得するには決して小さくはない資金を要した。

 実際に赤字決算が続いた。それでも、地方の小都市をホームタウンとするクラブがJリーグの中で生き残り、2002年の日韓共催ワールドカップの開催都市に選ばれ、カシマサッカースタジアムを改修して収容人員を倍増させ、クラブの収入を増やしていくには大きなインパクトを与えなければならない。

 果たして、1997シーズンはヤマザキナビスコカップと天皇杯全日本サッカー選手権の二冠を獲得。1998シーズンには再びリーグ戦を制覇したアントラーズは、Jリーグを代表する強豪として認知され、将来性ある日本人の新卒選手や日本代表クラスの移籍組が望んで集まってくるブランドを手にした。

 例えば1998シーズンには高卒ルーキーとして、今も現役でプレーするMF小笠原満男、MF本山雅志(現ギラヴァンツ北九州)、2014シーズン限りで引退したDF中田浩二が加入。GK曽ヶ端準もユースから昇格した。いわゆる「黄金世代」の台頭とともに、鈴木はチーム作りの設計図を180度転換させた。

 1990年代はブラジル人選手を幹に、日本人選手を枝葉としてチームを形成した。翻ってJリーグ全体で健全経営が謳われた2000年代に入ってからは、日本人選手を幹にすえて、足りない枝葉の部分を外国籍選手で補う方針が今現在も継続されている。

 そして、加入して3年目になる小笠原たちが一本立ちした2000シーズン。J1、ヤマザキナビスコカップ、天皇杯の国内三大タイトルを独占した史上初のチームになったアントラーズは、いつしか常勝軍団と呼ばれるようになった。

「加入して3年目、高卒ならば20歳すぎでレギュラーになった選手が、30歳くらいまで主軸を張っていく中で、最後の3年間を次の幹と上手く重ねていくことで、アントラーズの伝統を選手から選手へと受け継がせる。ウチは常に同じ方法で世代交代を進めてきました」

 鈴木が振り返るように、1996シーズンに幕を開けた第一次黄金時代を支えたDF秋田豊、DF相馬直樹、MF本田泰人らの背中を見ながら、小笠原たちはアントラーズで生き残っていくための鉄則を学んだ。その一項目として、練習中における一切の妥協を許さない雰囲気がある。