地方局のアナウンサーから史上最年少の36歳で福岡市長に就任。
逆風のスタートから、いかにして福岡を「最強」と言われる都市に改革していったのか?
就任から8年、2018年11月の市長選では28万票以上を獲得し、
前回の市長選(2014年)に続いて史上最多得票を更新した。
しかし、そこに至るまでの道のりは、第1回の記事のとおり、決して平坦なものではなかったという。
今もなお、チャレンジし続けるモチベーションはどこから生まれるのだろうか?
36歳で福岡市長になった高島氏は、団塊ジュニア世代だ。
世の中が希望を失った時代に社会人となり、バブルを知らない世代だからこそ抱く熱い想いとは?
博多駅前道路陥没事故の復旧や、熊本地震の際のSNS活用方法をはじめとした取り組みで注目を集める高島市長は、まさしく福岡市の【経営】者だ。そんな彼の仕事論・人生論が詰まった、初の著書『福岡市を経営する』(ダイヤモンド社、現在3刷)から、その一部を再編集して特別公開する。
<構成:竹村俊助(WORDS)、編集部、著者写真撮影:北嶋幸作>
バブルを知らない団塊ジュニア
私は団塊ジュニア世代です。いわゆるバブルを知らない世代です。
大学の受験率は高く、卒業生も多いのに、バブルが崩壊し、就職に恵まれなかった世代と言われています。
上の世代の人に話を聞くと「出張のおみやげがシャネルやディオールだった」「タクシーは一万円札の束で停めた」などの景気のいい話ばかりが飛び出します。
しかし私たちが学生の時代は「日本の未来は苦しい」「バブルのツケが……」「就職氷河期で就職先がない……」という希望が持てないような話ばかりでした。
私たちは明るい未来をあきらめて、少子高齢社会を支える世代として、苦しみ耐え忍ぶ時代を生きなければいけないのでしょうか?
冗談じゃありません。
若い世代が、これからの時代を、私たちの全盛期を暗いものにしないためにも、時代や他人のせいにはせず、自らの手で、自分たちの時代を切り拓くことが大切です。
日本はこれまでの歴史の中で、幾多の危難を乗り越えて繁栄してきました。大砲を積んだ大きな黒船の恐怖に震えたとき、爆撃によって焦土となった街を見て呆然としたとき、地震や台風で甚大な被害に見舞われたとき、いつもその時々の日本人が明日への希望を捨てずがんばってきたから、今の日本があるのです。
先人たちの努力には本当に頭が下がります。次は私たちの番です。今バトンを持っているのは私たちの世代なのです。自分たちの時代の輝きは、人が与えてくれるものではありません。相続してもらうものではなく、自分たちで勝ち取るものなのです。
今、社会には時代の過渡期ゆえの不安が広がっています。
一方、テクノロジーの進化はめざましいものがあります。
さまざまな分野で、これまであたりまえだと思われていた社会の概念や規制、商品、サービスが、急速に時代に合わなくなってきています。官も民も日本は制度疲労を起こしているのです。
しかし日本では、すみずみまでしっかり制度設計されているからこそ、それらを前提から再構築していくのは並大抵のパワーであっても無理です。
もし映画であれば、偉大な聖人君子の救世主が現れて、劇的に問題を解決してくれるのかもしれません。でも現実社会にはそんな救世主など存在せず、得意なところもダメなところもある生身の人間、つまり不完全な私たち一人ひとりのチャレンジの積み重ねによって社会は変わっていくことができるのだと思います。