地方局のアナウンサーから史上最年少の36歳で福岡市長に就任。
逆風のスタートから、いかにして福岡を「最強」と言われる都市に改革していったのか?
就任から8年、2018年11月の市長選では28万票以上を獲得し、
前回の市長選(2014年)に続いて史上最多得票を更新した。
しかし、そこに至るまでの道のりは、第1回の記事のとおり、決して平坦なものではなかったという。
政治の世界を心に抱きつつ、放送局に就職した高島氏。アナウンサー時代は、小学校時代の夢であるプロレス実況をかなえるために、日頃から「ある準備」を行なっていたのだという。
突然訪れるチャンスを確実につかむための「準備」とは?
博多駅前道路陥没事故の復旧や、熊本地震の際のSNS活用方法をはじめとした取り組みで注目を集める高島市長は、まさしく福岡市の【経営】者だ。そんな彼の仕事論・人生論が詰まった、初の著書『福岡市を経営する』(ダイヤモンド社、3刷決定)から、その一部を再編集して特別公開する。
<構成:竹村俊助(WORDS)、編集部、著者写真撮影:北嶋幸作>
夢がすぐ近くにあるのに…
同期の隣で始めた「準備」
私はプロレスが好きで、子どもの頃からプロレスごっこをしながら実況のマネごとをしていました。
当時の憧れの存在は古舘伊知郎(ふるたちいちろう)さんでした。いつからか、テレビで本物のプロレスの実況をしてみたいと思うようになり、小学校の卒業アルバムには将来の夢の欄に「プロレスのアナウンサー」と書いていました。
政治の世界を心に抱きつつ、放送局に就職したのですが、小学校時代の夢を思い出す瞬間が訪れました。入社した年の秋、私の同期であるテレビ朝日の勝田和宏(しょうだかずひろ)アナウンサーが新日本プロレスの中継番組「ワールドプロレスリング」の実況をするため博多のプロレス会場に来ていたのです。
小学生の頃に憧れたあの実況席に、同期のアナウンサーが座っている―。その光景を見てから「夢がすぐ近くにあるのに、つかまないわけにはいかない」という思いになりました。
私はその翌日から、いつ実況の仕事が来てもいいように準備を始めました。
ちなみにプロレスの実況はテレビ朝日のアナウンサーの仕事です。私のような地方局のアナウンサーは、そもそも前例がありません。ただ「10年後でもいいので、一度きりでもいいので、チャンスをつかみたい」と思ったのです。