米英撃滅祈願で開催された
1942年の駅伝大会

 また、それだけではなく、駅伝は「皇民」である日本人の士気を上げるため、「祈願」のようなことにも使われている。

 1942年、ミッドウェー海戦でぼろ負けする2ヵ月ほど前、「鉄脚を通じて銃後の士気を鼓舞せんとする」(読売新聞1942年3月20日)ため、伊勢神宮から皇居の二重橋前の約600キロを3日間で走る駅伝大会が催された。全国から健脚自慢の選手52名が選抜され、おこなわれたそのイベント名はズバリ、「米英撃滅祈願東西対抗縦走大会」――。

 若者たちの走りは、神国・日本の皇民たちを奮い立たせ、神に対して憎き鬼畜米英の破滅を祈祷するための「儀式」だったのである。

 日本人が大好きな野球も戦時中は、敵性スポーツとして冷遇されたことを考えると、「駅伝」というものが単なる「マラソンリレー」ではなく、我々日本人の信仰や精神に深く根付いていたがゆえ、かなり特別扱いされていたということがうかがえよう。

 こういう出自を考えれば、駅伝というものが日本人だけにしかウケないというのも納得ではないだろうか。

 少し前、女子駅伝で、足を故障した選手が、たすきをつなぐために約200メートルをはいつくばるということがあって大きな話題になった。

 すぐに監督は審判に棄権を要請したというが、選手本人の強い希望もあって最後まではいつくばってたすきを渡したのだという。

 選手個人の記録、選手個人の未来などよりも、はるかに「たすき」の方が大切。その頑なまでの教条主義というのは、そこに生きる人間の意志よりも伝統や格式を重んじる「神事」や「祭事」を思わせる。

 このあたりの精神は日本人ならば、まあなんとなく理解できるが、よその文化の人たちには難しいのではないか。

 日本中が涙を流して熱狂する駅伝が、「世界のEKIDEN」になるのは、まだまだ当分先のことのようだ。