日本の会議では、多数決が正しく機能していない。むしろ多数決原理を誤用し、意思決定が歪められている。異論を封じ込め、場の空気によって決められた判断は、時に破滅的な道に通じることもある。では、空気に左右されず、本来の多数決原理に基づく意思決定を行うにはどうすればいいのか? 40年読み継がれる日本人論の決定版、山本七平氏の『「空気」の研究』をわかりやすく読み解く新刊『「超」入門 空気の研究』から、内容の一部を特別公開する。
日本では、なぜ会議室と飲み屋で意見が変わるのか
会議は、企業を含めた組織、集団の今後の行動を決める重大な場です。その会議が空気に支配されたら、一体どうなってしまうのでしょうか。
日本における「会議」なるものの実態を探れば、小むずかしい説明の必要はないであろう。たとえば、ある会議であることが決定される。そして散会する。各人は三々五々、飲み屋などに行く。そこでいまの決定についての「議場の空気」がなくなって、「飲み屋の空気」になった状態での文字通りのフリートーキングがはじまる。(*1)
本来、合理的な思考を元に決断を下しているなら、どこで考えても結果は同じです。しかし、空気に拘束されると「あの会議室の空気」で、意思決定が変化してしまうのです。
山本氏は、空気に支配された議場での多数決と、飲み屋で空気のない状態で自由に議論された末の多数決では、まったく違う結果になるのではと指摘しています。
会議が、空気に支配されると、本来検討されるべき、マイナス面(あるいはプラス面)のどちらかを一方的に無視します。すると、反対意見や反論、疑義を空気で許さないことで、どんな間違った結論でも、会議の多数決に通ってしまうことになるのです。
多数決原理をわざと誤用する、日本の会議システム
多数決による決定は、本来は議題を相対的に判断することを求めています。
多数決原理の基本は、人間それ自体を対立概念で把握し、各人のうちなる対立という「質」を、「数」という量にして表現するという決定方法にすぎない。日本には「多数が正しいとはいえない」などという言葉があるが、この言葉自体が、多数決原理への無知から来たものであろう。(*2)
多数決の条件は、議題に「賛成できる部分」と「反対されるべき部分」の両面が確実に含まれていることです。したがって、「賛成できる部分」と「反対されるべき部分」の両方の十分な吟味と検討が、多数決が正しく機能する一番の前提条件となります。
ところが、空気の支配はプラス・マイナスのどちらか一方の側面だけを取り上げ、逆側は無視させる圧力を発生させます。空気は、多数決原理を破壊して、相対化の機能を絶対化に転じる破滅的な影響力を発揮してしまうのです。
少なくとも多数決原理で決定が行われる社会では、その決定の場における「空気の支配」は、まさに致命的になるからである。そして致命的になった類例なら、今まであげてきたように、日本には、いくらでもある。(*3)
空気が会議を支配すると、両面をきちんと議論して検討されず、都合の悪い一方を完全に無視させることで多数決を迫ります。空気に支配された会議では、本来の機能を破壊された形で、多数決が悪用されてしまうのです。
*1 山本七平『「空気」の研究』(文春文庫)P.77
*2 『「空気」の研究』P.77
*3 『「空気」の研究』P.76