多数決は、マイナス面を無視できる「免罪符」ではない

  空気に拘束された日本の会議は、もう一つの非常に大きな危険性を生み出しています。「多数決で決まったのだから」と、議論で指摘されたマイナス面、反対されるべき部分をすべて無視してもよいという免罪符的な主張があることです。

  会議の中で、形式的にでもマイナス面を含めた相対化の議論がされたにもかかわらず、多数決で自分たちの意見が通ると「マイナス面を無視してOK」という認可をもらったと錯覚しているような行動が、日本の組織ではよくあります。

  多数決に通ると「みんなで決めたことだぞ!」の一言で、一切のリスクを無視できるかのような、多数決を免罪符であるかのごとくに振り回すのです。その結果は、無視したリスクの膨張とのちの顕在化による悲惨な失敗です。

  多数決で賛成多数であっても、問題のマイナス部分が消えるわけではありません。単にマイナス面を考慮しながらも、先に進むと決めただけです。

 多数決で決まったのだからとマイナス面を無視するのは、議論と多数決の基本的な条件を無視した悪用です。空気による絶対化を補強する破滅的な行為なのです。

問題を前に、声を上げる者がいなければ、悲劇は止まらない

  根回しは、日本の意思決定の場において特に重要とされています。一般的に、議論の場の前に、関係者に事前説明や説得を行って、会議の場ではその結果を見るような流れです。

  物事をスムーズに進めるには、日本的な根回しは有効に機能することが多いでしょう。一方で、賛否両論、プラス面とマイナス面が混合しているようなテーマでは、根回しが「過剰に異論を封じ込めて」しまうと、リスクを急拡大させる恐れがあるのです。

  問題がなければ異論や指摘は必要ありません。しかし同時に、なんらかのリスクがあれば「声を上げる人」「そのリスクを明確に指摘する場」が不可欠なのです。

  米国の訴訟コンサルタント会社の代表であるフィリップ・マグローは、問題に対して声を上げることの重要性を、端的な言葉で指摘しています。

  あなたはこう考えるのではないだろうか。もし船がどんどん沈み続けたり、どんどん進路から外れたりしてきたら、誰かが最後に立ち上がって、「おい、これじゃダメだってことくらい、誰にでもわかるだろう?」と言うにきまっている、と。(*4)

 しかし空気で拘束された場で、本当に「誰かが最後に」きちんと声を上げてくれるのでしょうか。どんどん船が沈むのに、誰も声を上げなければ、一体どうなってしまうのか。空気に支配される怖さ、リスクはこの点にあります。

 空気の支配が過剰になると、正しい方向転換、失敗を停止し改善へ向けるための、健全な批判や指摘ができなくなるのです。明らかな失敗が是正されず、悲劇が拡大しているのに、誰もが口を閉ざした状態が続くなら、行き着く先は、大規模な破たんです。

(注)
*4 フィリップ・マグロー『史上最強の人生戦略マニュアル』(きこ書房)P.45