フェイクニュースのようなウソの報道でも、繰り返されれば、私たちの「物の見方」は大きく影響を受ける。メディアは「空気」を生み、大衆の感情を操作する装置である。戦時中のねつ造された大本営発表による悲劇を繰り返さないためにも、私たちは空気による大衆扇動の仕組みを知るべきだ。『「超」入門 失敗の本質』の著者・鈴木博毅氏が、40年読み継がれる日本人論の決定版、山本七平氏の『「空気」の研究』をわかりやすく読み解く新刊『「超」入門 空気の研究』から、内容の一部を特別公開する。
私たちは「偶像」に支配されている
山本七平氏は、『「空気」の研究』の中で、空気による支配構造の基本パターンを解説していますが、今回はその中の、「新しい偶像による支配」ついて見ていきましょう。
偶像とは一般的に、神に似せてつくられた何らかの像を意味します。このような偶像を崇拝することを、偶像崇拝といいます。
金属棒という物質の背後に悲惨を臨在させ、その臨在感的把握を絶対化することによって、その金属棒に逆に支配されたわけである(*1)。
この図式を悪用すれば、カドミウム金属棒を手にすることによって、一群の人間を支配することが可能になるのである(中略)これが物神化であり、それを利用した偶像による支配である(*2)
山本氏は、「人類が偶像支配から独立するため、実に長い苦闘の歴史があり、多くの血が流された(*3)」とも指摘しています。私たちには聞きなれない、偶像による支配、偶像崇拝とは、一体どんな行為を指すのでしょうか。
自分がつくった彫像に恐れおののいた芸術家
書籍『近代の〈物神事実〉崇拝について』(ブリュノ・ラトゥール・著/荒金直人・訳)から一節を紹介します。
彫刻家が夜明けに自分の工房に入り、前日彫り終えたばかりの彫像に怯えている。彼は茫然として両腕を広げ、雷の使い手が今にも自分を灰に帰すことを覚悟している(*4)。
この文は、「彫像家とユピテル像」という象徴的な寓話と版画を紹介した箇所です。
一塊の大理石がとても美しかったので、
ある彫像家がそれを買った。
彼は言った。「私ののみはそれを何にするだろうか。
神になるのか、テーブルか、それとも水受けか。
神になるだろう。それも、
雷を手中にした神にしたい。
怯えろ、人間たちよ。祈るのだ。
それは地上の支配者だ。」(*5)
彫刻家は、彫り上げるまでは大理石をどう扱うか、完全な自由を持っています。しかし、一旦ユピテル像(雷を司る神)ができ上がると、大理石はまさに神となり、今にもその雷に撃たれて自らが灰になることを恐怖する。
理由は、大理石が雷神の形になると、人間の感情投影を極度に促進するからです。自ら投影した「恐れ・崇拝」の感情に人が支配されて、つくり上げたものが神になる状態。それが偶像による支配と、偶像崇拝なのです。
*1 山本七平『「空気」の研究』(文春文庫)P.43
*2 『「空気」の研究』P.43
*3 『「空気」の研究』P.44
*4 ブリュノ・ラトゥール/荒金直人訳『近代の〈物神事実〉崇拝について』(以文社)P.4
*5 『近代の〈物神事実〉崇拝について』P.5