人に教えられて知った
グダつき方が似る親子

 手前みそで恐縮だが、まず筆者のケースから。筆者は音楽関係の仕事をかじっていて、一方父はそっちにどっぷりで仕事をしてきた人間で、現在ひとつの案件に父と一緒に関わることがある。「父とがっつりタッグを組んで」ではなく、「1スタッフとして父と筆者がいる」形なので、細かい部分でどういう動きをしているかはお互い知らず、担当者を通してそれを知ることになる。

 筆者にとって父は同じ楽器弾きとして、また同じ“子を持つ父親”の大先輩として現在は尊敬の対象だが、高校生の頃まではやはりどこか疎ましく、敬遠している部分があった。筆者は顔かたちと性格がそっくり母譲りなので、その点でも父は筆者と血のつながりがあまり感じられず、まったくの別人であるという印象が強かった。

 しかし、父とともに関わっている案件の担当者複数名から興味深い指摘があった。「電話の切り方がまったく同じ」というのである。そこで自分の切り方を振り返ってみると、次のようになる。

「はい、わかりました、それじゃ、はい、また、はい…はい、失礼します…はい、また…」

 終わりを意味する言葉を何度も繰り返してグダつく、日本人らしいパターンである。この筆者の切り上げの口上は、成人してから開発された自分自身のものであると思っていた。筆者はこわもての友人から「電話の切り方がいつも怒っているみたいで怖い」と言われたことがあり、そんな気はまったくなかったがいかつい彼が言うのだからこれは真なのであろう、即刻修正すべきであると心得て、上記のやり方となった。

 終わりにグダつくのはちまたでよく見られるパターンだが、言葉のチョイスや間、テンションなどの細かい部分に個々人の気遣いや気まずさが表れるはずなので、典型的なものであるとはいえひとつひとつを見ていくとそれなりに個性がにじみ出るものに仕上がっているはずなのである。しかしそれが父に似ているという。

 また、筆者の結婚式に出席してくれた友人からは「お父さんとあいさつとお辞儀の仕方が同じ」という指摘があった。お辞儀を含んだあいさつといえば、「今日はどうも、お忙しい中ご参列いただきまして…はい、こちらこそいつもお世話になっております、ありがとうございます、いえいえとんでもない、ありがとうございます」という具合の、例のグダつくやつである。

 断っておくが電話の切り方もお辞儀のあいさつも、父に似せようという思いは筆者にみじんもないのである。