1997年、日本DNA多型学会による「DNA鑑定についての指針ー再鑑定の保障をめぐってー」作成時、「現場資料が微量で、全量を用いて検査せざるを得ない場合には、少なくとも資料から抽出されたDNA抽出液の残余は、たとえわずかでも保存されるべきである」という文章が削除・修正されたことがあった(*1)。

 当時の事情に詳しい人は、今回の取材で「当時、DNA抽出液は変性するから保存する必要はないと言われた」と答えた。2013年、司法研修所が発刊した資料(*2)にもDNA抽出液に関する記載はない。

 さらに、前述の研究所研究員は、科学者の視点でDNA抽出液の廃棄について、「絶対やってはいけないこと。特に、判決までは残すべき」と強調する。

「科学の世界では、論文投稿時、結果を出した元のサンプル(今回はDNA抽出液)は、必ず残しておくべきもの。論文が掲載されてからも、第三者から検証実験等の目的で申し出があった場合は提供しなければならないからです。このため、記録がなく、廃棄され追試ができない場合、科学者は何かおかしいと考えます」と話す。論文の統計データと同じ取り扱いで、広く社会と共有すべきものと考えられている。

 科捜研研究員が実験ノート代わりに書いていたワークシートの記載についても、「科学では書き換えができないよう、消せない筆記具で記載しなければなりません。研究による知的財産権を決めるときも実験ノートの記載内容が重要になります」と前述の研究員は話す。

 今回、法廷で検察と弁護団が何度も「科学とは何か」「再現の可能性とは何か」の定義で争った。

 科学とは「第三者が見ても納得のいくデータであること」「同じ試料、同じ手法で追試をしても、同じ結果が出ること」で、その積み重ねが信用性を高める。裁判長は全面的に弁護団の主張を認めた。

 一方、判決後の記者会見で被害者女性は「わいせつな事件が起きた根拠をつくるため、DNAを採取してもらいましたが、この判決に驚いています」と話す。

 被害者弁護人の上谷さくら弁護士も「性犯罪は客観的証拠がなくて、いつも苦労する。性犯罪として、あんなに(カーテンで囲まれた病室のこと)安全に犯罪できる場所はありません。この事件が無罪になったら、性犯罪はほぼ立件できない」と憤る。

*1:『DNA鑑定と刑事弁護』(日本弁護士連合会人権擁護委員会編者、現代人文社、1998年)
*2:『科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方』(法曹会、2013年)