もしもおやじが60~70代まで生きていたら、事情はだいぶ変わっていたはずだ。小林製薬は今とは違う形になっていたかもしれないし、私の会社への参画の仕方も違っていたと思う。少なくとも自分の自由にはやれなかっただろう。

 ただ、おやじはずっと言っていた。

「自分は、小売りとメーカーの間に立って両方をにらみながら卸をやってきた。医薬品の卸業は他力本願だ。売り上げは拡大できても、十分な利益を上げるのは非常に難しい。小林製薬が将来にわたって成長していくためには、メーカーへの転換を目指さなくてはならない」と…。

 この言葉を「遺言」と捉え、私は最初から、小林製薬のメーカー化を目指すと決めていた。

 でも、それほど簡単な話じゃない。

 実はおやじも生前、メーカー化に挑んだが、失敗に終わっている。胃腸薬を出して、同様の商品を出していたロート製薬と勝負したが全く歯が立たず、結果的に商品の回収を余儀なくされたのだ。失敗の打撃は大きく、その仕事を最後に、おやじはメーカーへの転換を断念した。病気が悪化して、次のチャレンジをするだけのエネルギーもなかったのだろう。元気だったら、続けていたかもしれない。

 当時の卸中心のセンスでメーカーをやると、どうしてもすべての流れがルーズになる。メーカーは、自分でコンセプトを作り、製品を開発し、処方からネーミング、広告まですべて自分で決めて行うが、当時の小林製薬にはそんなセンスはない。メーカーとしてやらなければならないことができないので、結局は中途半端な製品を世に出してしまい、うまくいかなかったのだと思う。

 そんな経緯があったため、私がメーカー部門の事業を志望した際に、反対する者は誰もいなかった。「どうぞお好きに」ということだったのだろう。