ゼロから猛勉強して
モーター開発の第一人者に

 貝塚がホンダへ入社したのは、1991年のこと。「衝突回避など車の安全技術に関わる仕事をしたい」という志望はかなわなかったものの、入社1年目にして、会社挙げての新規プロジェクトに登用された。

 それが、二輪や四輪の電動車向けのモーター開発プロジェクトである。90年に米カリフォルニア州で発効した環境規制が引き金となり、自動車の電動化が待ったなしの情勢になったのだ。

 HVや電気自動車(EV)などの電動車両において、モーターは車の性能を左右する重要部品である。だが、当時はガソリン車隆盛の時代。「F1(フォーミュラ・ワン)や二輪で電気系をかじったエンジニアが集められたが、社内でモーターについて知っている人など誰一人いなかった。ゼロから猛勉強すれば、モーター開発の第一人者になれるチャンスが転がっていた」という。

 とはいえ、開発チームには緊張感があった。レースに照準を合わせてマシンを仕上げてきたF1出身の先輩エンジニアから「1週間で結果を持ってこい」と厳命が下るなど、開発速度のアップに関しては徹底的に鍛えられた。

 同時に、モーターの数値計測にコンピューターシミュレーションが採用されるなど、開発プロセスにITが入り込む“はしり”の時期でもあった。

 世にないものをゼロから生み出す創造力、F1仕込みの開発速度、開発プロセスの刷新、そしてチームワークの醸成――。“エンジン屋”など旧来型の自動車エンジニアとは異なる下積み時代の蓄積があったからこそ、その後、貝塚は偉業を成し遂げることができたといえるかもしれない。

 貝塚のモーター開発に挑む基本姿勢は、常にゼロベースだ。既存技術に頼って守勢に回ることはなく、新技術の導入に寛容で、チームをまとめる能力に長けている。だからこそ、レアアース危機に立ち向かうこともできたのだろう。

 この緊急事態に先んじて、06年にホンダは重希土類を100%使わないHV向けモーターの開発を進めていたが、いよいよ焦眉の急となった。

 完成まで苦節10年――。16年9月に発売されたHV「フリード」に、世界初となる「重希土類フリー駆動モーター」が採用され、開発は結実した。

 成功のポイントは二つある。一つ目は、11年に協業をスタートさせた磁石メーカー、大同特殊鋼の技術力だ。一般的な磁石メーカーとは異なり、「熱間加工法」というユニークな製造方法を得意とする。量産には向かないが、磁石の粒子が小さく耐熱性が高いという特徴にホンダが着目、タッグを組んだ。

 二つ目は、重希土類の含有率を「減らす」ではなくて「0%」に執着した開発姿勢だ。モーター回転子の「ローター」に組み込まれる磁石の配置を変えたり、ローターの形状を変えたりすることで、磁石の耐熱性を高めた。