きれいに調理するからこそ
料理に魂がこもるのです
私が外食をしない2つ目の理由は、衛生面です。
料理を運んできてくる女性が髪をまとめていなかったり、爪が長かったりすると、私は衛生面が気になってしまいます。
ちょっと心配症なのかしら。
髪をまとめていないと、髪の毛が料理に入ることだってあります。
若い人のなかにはファッションの一部として爪を伸ばしている人がいるのかもしれませんが、爪だって短く切らないと、ばい菌が入らないか、不安になってしまいます。
それというのも、私の母親は、調理の衛生面にはとくにうるさい人だったから、その考えが私にもすっかりしみついているんです。
私たちの時代には、料理をするときは割烹着を着て、頭にはほっかぶりするのが当たり前でした。
爪だって短く切っていました。
思い返すと、母親は私が縁日で買い食いをするのさえ許してくれませんでした。
やはり衛生面が心配だったのでしょう。
その気持ちを知らない私は、お友達と同じように買い食いがしたくて、母を秘かに恨んだものです。
私の娘時代、お友達はオヤツにちくわを食べていましたが、私は食べさせてもらえませんでした。
昔はいたるところにハエがいっぱいいましたから、母親は「ちくわをつくるとき、穴のなかにハエがこっそり卵を生んでいるかもしれない」なんていっていたものです。
たぶん、それは母親の考えすぎなのでしょうが、そういうわけで私は結婚するまでちくわを食べた経験が一度もありませんでした。
もっとも、初めてちくわを食べたときは、そんなに美味しいとは思えなかったですけれど。
私が外食をしないのを知っていて、「いいレストランがあるから、一緒に行きましょうよ」と誘ってくださるお友達もいます。
でも、そういうお友達の始めの一言は「あの店は安くて、お腹がいっぱいになるのよ」ということが不思議と多いです。
そう誘われても、私の食指はピクリとも動きません。
だって安いのには、必ず何か理由があるでしょ。
人件費を抑えるために、腕に覚えのない店員さんが調理をしているかもしれないし、食材だって安い冷凍の輸入物を使っているかもしれません。
そう考えると、多少面倒でも、素性がはっきりしている食材を買ってきて自分の手で調理して食べたいと思うんです。
私が外食しない3つ目の理由は、食べるのが遅いからです。
私の娘時代の戦中・戦後は、食べる物が手に入らなくて本当に苦労しました。
なんでも食べられるだけでありがたかった。
野菜がないから、道端のタンポポを摘んできて、茹でて食べたりするのは日常茶飯事でした。
野原や土手なんかでノビル(ネギ)が獲れて食卓に並んだら、「今日はご馳走ね!」と喜んでいたくらいです。
いまも、どんな食べ物も無駄にしたくないという気持ちがありますから、私には一口一口感謝しながら噛んで食べる習慣が身についています。
ひと口ごとに40回くらい噛んでいるから、食事が遅くなってしまいます。
お友達と一緒にご飯を食べに行ったとしても、みんなが先に食べ終わって、私のために待たせてしまうのは申し訳ないと思ってしまう。
だから、外食はしたくないのです。
(次回へ続く)