筆者の予測を
凌駕した3つの事象
本連載は「中国民主化研究とは中国共産党研究である」という立場を取っている。中国が民主化するか否か、仮にするとしたらそれはどういう経緯になるのか、仮にしないとすればそれはなぜなのかといった問いを明らかにしていくためには、中国共産党の歴史、体制、政策、そしてそれを取り巻く国内世論や国際関係を解きほぐしていく以外に効果的な方法はないという意味である。いうまでもなく、現在党・国・軍のトップに君臨する最高指導者である習近平という人物そのものに光と影を当てていく作業も不可欠になる。
故に、昨今において習近平総書記率いる共産党指導部が、この問題をどう捉えているのかをあらゆる方法を駆使して探ることが、その出発点になると筆者は考える。その意味で、“平反六四”という課題は避けては通れない試金石になるのだ。
筆者は2015年7月に出版した拙書『中国民主化研究:紅い皇帝・習近平が2021年に描く夢』(ダイヤモンド社)第II部「改革」第7章「天安門事件と習近平時代」にて次のように記している(198~205頁)。
(1) 中国共産党にとって、「政治改革に踏み切るか」という問題と、「天安門事件を清算するか」という問題は表裏一体である。
(2) 政治的インセンティブに欠け、共産党の正統性が揺らぐ懸念が存在し、既得層や保守派からの反発が必至という政情下において、習近平がそれらの障害を取っ払って平反六四する可能性は、少なくとも現段階、そして近未来では低いといわざるを得ない。
(3) 政権が中期に近づいていく過程で(2016~2018年ごろ)、仮に党内政治が安定し、権力基盤がいっそう強固になり、習近平本人が「これなら改革を進めても、体制も社会も不安定化しない」と主観的に判断できれば、政治改革を推し進める可能性はある。その政治改革を推し進める過程で、平反六四を戦術的に利用しないとも限らない。
現在に至っても基本的な考え方に変わりはないが、その後習近平政権の下で発生したいくつかの現象は筆者の予測を凌駕するものであり、自らの見通しの甘さを痛感しているというのが正直な心境である。ここでは3つの事象を通じてそれらを整理してみたい。