「いいね!」欲しさにのめり込むインスタやフェイスブック、「あと1回」が終わらないスマホゲーム、朝まで一気見してしまうネットフリックス、さらには頻繁すぎるメールチェック……。
現在、薬物やアルコールなどの物質への依存だけではなく、「行動」への依存も広がっている。この「新時代の依存症」を、心の仕組みと、私たちをのめり込ませる「依存症ビジネス」の仕掛けの両面から読み解き、さらにはその対処法まで示して世界中が絶賛した『僕らはそれに抵抗できない』が日本でも発売された。テクノロジーを用いる人物や企業が私たちをのめり込ませ、“常習”させようと罠を仕掛けるときに使われる「6つのテクニック」とは?

すべては依存症になるようデザインされている?

 テクノロジーが本質的に悪というわけではない

 たとえば私の家族はかつて南アフリカに住んでいたのだが、1998年にオーストラリアへ引っ越して、祖父母と離れて暮らすようになった。私たち兄弟が祖父母と話をするのは、通話料金の高い固定電話で1週間に1度。手紙を書けば到着するのは1週間後。けれど、2004年に私1人がアメリカに渡ったときは、毎日のように家族とメールを送りあった。電話も頻繁にしたし、ウェブカメラで手を振って会話したりもした。テクノロジーのおかげで家族の距離は開かなかった。

『タイム』誌編集者のジョン・パトリック・プーレンも、2016年の記事で、仮想現実での出来事に心を揺さぶられて涙した体験を語っている。

(……)対戦相手のエリンが、身体を小さくするレーザーガンで僕を撃った。そのとたん、VRの中に見えているすべてのものが、ぐわっと大きく迫って来た。エリンのアバターは僕の前に立ちはだかる巨人だ。ヘッドホンから流れ込む彼女の声も違って聞こえる。深く、スローに、頭の中に入ってくる。その瞬間の僕は子どもに戻っていた。巨人と遊んでもらっている幼子だ。息子にとって世界はこう見えているのか、という思いがこみあげてきて、僕はヘッドセットをつけたままむせび泣いた。純粋で無垢な体験だった。息子との関係はこれを境に変わっていくに違いない。巨人と一緒に遊ぶ僕は、まったく無力で、それでいて確かに守られている実感があった。

 テクノロジー自体は道徳的に善でも悪でもない。問題は、そのテクノロジーを生み出す企業が、大衆に積極的に消費させることを意図的に狙って開発し、運営していることだ

 アプリや各種プラットフォームは、充実したソーシャル体験を追い求めたくなるようにデザインされる。いや、タバコと同じく、依存症になるようにデザインされると言ってもいい。すべてがそうだというわけではないが、残念なことに現在では多くのテクノロジー系プロダクトができるだけ常習させるように作られている。

 ゲームで胸に迫る体験を味わった『タイム』誌のプーレンでさえ、「まんまと釣られた」という表現を使っていた。仮想現実のような没入型テクノロジーは、本当にリアルに感情を揺さぶる力があるので、悪用するのも充分に可能だ。もちろん、VRが今後は節度ある利用をされていくのか、悪用されていくのか、誕生まもない現段階で判断することはできないが。

 薬物やアルコールなど、何らかのモノを体内に取り込む物質依存症と、有害な行動を繰り返さずにいられない行動嗜癖は、多くの面でよく似ている。脳の同じ領域を活性化させるし、人間としての同じ基本的ニーズによって深みにハマっていく。人とかかわっていたい、仲間に支持されたい、精神的な刺激を受けたい、手ごたえを味わいたい……。こうしたニーズが満たされないと、人はますます薬物や行動にのめりこんでいくのだ。