哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第7章のダイジェスト版を公開します。


 本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。

 物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?

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「宗教の正義」とは何か?

「宗教の正義。もしかしたら、この正義を主張する者は、自分が『宗教的である』という自覚を持っていないかもしれない。そもそも多くの場合、我々は宗教というと何か特定の神さまを信じることだと思っている。だから、神さまを信じてさえいなければ、自分が宗教とは何の関わりもない人間だと思ってしまっている人が多い」

「が、実際にはそうではない。『宗教的である』ということは、神さまを信じること、宗教団体に入ることとはまったく関係のない、別のことなのだ」

「では、『宗教的である』とは、もともとどういうことで、どう区別すべきものであるのか? 私は、『物質または理性を越えたところにある何かを信じていること』、それが宗教的であることの唯一の条件であり、その一点によって、宗教的かどうかの是非を見分けるべきであると考えている」

 そう言って、先生は黒板に大きな丸い枠を描いた。

「今、黒板に書いた枠―これを、何でも包み込める巨大な袋だと思ってほしい。さて、何でも包み込めるのだから、せっかくだし、我々が住むこの宇宙全体をこの枠の中に入れてしまおう」

 先生は、黒板に描いた枠の内側に「宇宙(物質の世界)」という文字を追加した。

「というわけで、宇宙のすべてがこの枠の内側に入ったわけだが……そうすると、今、我々の宇宙で何が起ころうと、今後どのような事象が発生しようと、それはすべてこの枠の『内側』での出来事ということになる」

 そりゃまあ、そういうことになるだろうな。枠の中に宇宙があるわけだから。

「では次に、人間の思考について考えてみてほしい。仮に、ランダムに文章を作り出すコンピューターがあったとしよう。人間が使う言葉、単語をすべてインプットしておいて、適当にその組み合わせを作って出力する機械だ。その機械を動かすと、大半は無意味な文章が出力されるわけだが、繰り返せばいつかは意味のある文章が出てくる。いや、それどころか何度も繰り返すうちに、偶然シェイクスピアが書いた小説が出力されることだってあるだろう」