「話すのがうまい人」と
「書くのがうまい人」の違いとは?
一方、発信においても、話した方が良い人と書いた方が良い人の2種類がいるようだ。
ただし、これについてはどちらかができると、どちらかはできないというような排他性はなく、
(1)話すのも書くのも上手
(2)話すのは下手、書くのは上手
(3)話すのは上手、書くのは下手
(4)話すのも書くのも下手
の4種類に分かれるように思われる。
(1)話すのも書くのも上手
理想的である。話す内容について頭の中が完璧に整理されている。一つの話がユニット化されて頭の中に格納されており、場面や相手に合わせて、柔軟に順番を入れ替えたり、不要なことは省略したりできる。
書く方では論理的に矛盾なく、狙い通りの構成で、説得力のある文章が書ける。話すときにも書くときにも、高い編集力を発揮できる人であり、こういう人は放っておいてもリーダー的な存在になっていく。
(2)話すのは下手、書くのは上手
自分の思考の枠組みに沿って言葉を紡いでいくことには長けているが、多様な相手の要望に合わせて臨機応変に話の内容を再編集することや、その場の相手にとっては不必要だと判明していることを即座に省略できない。省略すると、自分の頭の中での構成が崩れてしまって、話に収拾がつけられなくなる。
話している当人にとっては、その順番で構成されることそのものに論の本質があり、その順番でこそ論の強度が増すと考えているため、簡単にかいつまんだり順番を入れ替えたりすればよいといった単純な話にはならないのである。
それゆえ、文章として、相手の反応を待たずに最後まで通した形で提出できるならよいが、一刻ごとに相手から反応があり、それに対応していかなければならない「話す」という行為は苦手である。
自己の基準に合わせた論理性や構成力は独自性にもつながり、本来高く評価されるべきだとは思うが、前述のように、人はあまり相手の言うことそのものを聞いておらず、しかも忙しくて他人の文章などじっくり読んでいられないご時世なので、大変弱く厳しい立場に追い込まれがちである。