なぜ「話し上手な人」ばかりが得をするのか
その場が大盛り上がりの講演が、文章にすると与太話になってしまうことも… Photo:PIXTA

 少し前に、小泉進次郎大臣の話の「意味がよく分からない」と、ネットが盛り上がった。

 そのニュースを聞いて、若い頃にやっていた仕事を思い出した。企画畑にいた私は、さまざまなイベントや勉強会で、社外の識者に講演をしていただいた後に講演録を作って小冊子にまとめる担当をしょっちゅうさせられていた。

大盛り上がりの講演が
文章にすると面白くない理由

 そこで気づいたことは、当日場が大いに盛り上がり、聴衆が大満足した講演なのに、テープに起こして文章にしてみると、どうということのない、新鮮味を欠く、全くもってつまらない与太話だったりすることが往々にしてあるということだった。

 また反対に、なんだか不得要領なことをボソボソ喋っていて、あのーとか、そのーとか、えーとかの間投詞や感動詞ばかりで、話題も定まらないように聞こえて、退屈の極致といった講演のはずが、テープ起こしをして、あー、うーを取り去り、少し整えると、あら不思議、見事な論文に早変わりするということもあった。

 どうも聴衆は自分も含め、驚くほど話そのものなど聞いていないのだな、と実感させられた。自信のある顔つき、身ぶり手ぶり、リズム、間のとり方などは、話全体の構成や論理性などよりもよほど重要なようである。実際に、メラビアンの法則(聴衆に与える影響として、視覚が55%、聴覚が38%で言語情報は7%だという通説)もよく知られている。
 
 かつて、ドラッカーは「聞く人」と「読む人」がいて、その両方ができる人はあまりいないと言った(『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか<はじめて読むドラッカー【自己実現編】>』ダイヤモンド社)。これは、仕事の報告を受ける際に、聞くことを重視するタイプか、文章を読むなどの視覚を重視するタイプか、人によってどちらかのタイプに分かれるという話で、経験論的にも納得できる。