「正しすぎる」世界が生まれている

 けれど、いい加減だったり曖昧に見えたりする人間ならではの行動が、悪い結果ばかりを招くかといえば、そうとも限らない。場合によっては、臨機応変で柔軟な判断を生むこともままあるわけです。

 また、失敗しないことを前提に行動するより、リスクを取って挑戦しようとする人間の本能こそが、進歩を可能にしたともいえる。リスクを犯して新たなフィールドに臨んできた開拓者精神こそが、社会の発展を支えてきた。そんな考え方もあるのです。

 しかし、今、世の中に蔓延しているのは失敗やミスを激しくバッシングする風潮です。そして、非難の対象とならないための過剰なほどのマニュアル化、システム化が行なわれているように思えます。

 私がいる教育や医療の現場でもその兆候があちこちで見られる。他にもビジネスの現場やごく日常的な人間関係においてさえ、非難を受けそうな失言や失敗を未然に回避することに躍起になっている。そういう過剰なリスクマネジメントが至るところに見られます。

 でも、その先にあるものは、いったい何なのでしょう?

 誰もがリスクを回避しようとすれば、結局は「当たり障りのないようにやっておこう」といったことなかれ主義に行き着くでしょう。あるいは人の失敗は批判するけれど、かたや自分のことになると「余計なことはいわないほうが無難」とばかりに口をつぐんでしまう。要するに、揚げ足取りの世界。

 失敗はないし、比較的安全だけれど、そんな世界は誰のためにもなっていない。進歩もなければ、面白いことも何もない、まさに「クリーンすぎる」世界。果たして、それはみなさんが住みたい世界でしょうか。

 人は失敗もするし、ウソもつくし、ズルいこともする。といった「ほどほどの感覚」をみながなくしてしまった「正しい世界」は、息苦しく、生きにくい。しかし、今の風潮がこのまま続けば、確実にそういう社会になってしまうでしょう。「ほどほど論のススメ」というタイトルで続けてきた連載で私が伝えたかったことは、結局、この危機感だったのだと思います。

 本連載はこれで最後となります。みなさま、お付き合いいただき本当にありがとうございました。