運命を変えた原宿の展示会

 その後、2001年に「東京・原宿バージョンギャラリー」で能作の鋳物を扱った「鈴・林・燐(りん・りん・りん)」という展示会を安次富さんと僕がディレクションしました。

 高岡しか知らなかった能作さんが初めて外に出たイベントです。

 後日談ですが、そのときに展示していたベルを扱ってくれた店員さんが、こう言ったのです。

「日本ではチリンチリンとベルを鳴らして
 人を呼ぶ習慣はないから、
 風鈴にしてもいいんじゃないですかね」

 その瞬間、能作さんは「すぐつくります」と言って、ベルを風鈴につくり変えた。
 それが今でもロングセラーになったわけですから、あのときが一つのターニングポイントでしたね。