「勉強という義務」にどう対応したか

 僕は子どものころからゲームが大好きでした。しかし、もちろんそれだけに没頭することを許されていたわけではありません。常につきまとう義務がありました。勉強です。

 我が家には「教育は惜しむな」との代々の家訓がありました。父は戦後の貧しい環境ではあったものの、家訓に従って教育を受け、身を立てることができた人でした。物は失ってしまうことがあるが、身につけた学や技能は一生涯自分のものである。

 これはまことにありがたい教えではあるのですが、きちんと理解できるようになったのは大人になってからのこと。子どものときは、正直いってありがた迷惑な代物でした。小学生のころはゲームセンターではなく家庭用ゲーム機でゲームをしていましたが、親の目を盗んでゲームをすると集中できない。一方で、勉強もゲームが気になって手につかない、そんな非効率な状況に陥ったのです。

 互いに足を引っ張り合うのはどうにもバカらしい。ゲームがうまくなりたいのなら、勉強を避けるのは得策ではない。そう気づいたのです。

マイナスの感情がないと、負担が減る

 堂々と遊べないと、両方の効率が落ちてしまう。そう気づいた僕は、ゲームと勉強を「セット」にして、取り組むことにしました。両親から「勉強したのと同じ分だけゲームをしてもいいよ」といわれたことを逆手に取り、「勉強すればするほど、ゲームもたくさんしていいんだ!」と考えたのです。