刊行から丸6年を経てついに国内200万部を突破した『嫌われる勇気』。さらには海外20数カ国で翻訳され世界累計部数は475万部を超える。アドラー心理学の入門書である本書が、これほど現代の人々に受け入れられた要因の一つに、「哲人」と「青年」の対話の魅力があげられよう。アドラーに精通する哲人と、全読者の代表とも言える悩める青年の対話は、そのまま共著者である岸見一郎氏(哲人)と古賀史健氏(青年)の関係に当てはまる。両氏は、このたび200万部突破を記念して全国9ヶ所で講演会を行うが、それはまさにリアル哲人とリアル青年のセッションと言える。
そこで改めて哲人と青年の対話を楽しみつつ、アドラー心理学の衝撃的な教えをじっくり考えて頂くため、『嫌われる勇気』の重要箇所を抜粋して特別公開していきたい。今回は、哲人との対面を果たした青年が、初めてアドラー心理学の存在を知り、その驚くべき思想の片鱗に触れる部分をお届けする。

知られざる「第三の巨頭」

書斎に入ると青年は、猫背ぎみの姿勢のまま書斎に置かれた椅子に腰をかけた。彼はなぜ、これほどにも哲人の持論に拒絶反応を示すのか? 理由は明白だった。青年は幼いころから自分に自信が持てず、出自や学歴、さらには容姿についても強い劣等感を持っていた。そのおかげだろう、過剰なほど他者の視線を気にしてしまうところがあった。そして他者の幸福を心から祝福することができず、いつも自己嫌悪に陥っていた。青年にとって、哲人の主張はすべてが絵空事でしかなかった。

青年 さきほど「もうひとつの哲学」という言葉を使われましたね。たしか先生のご専門はギリシア哲学だと聞いていましたが?

哲人 ええ、10代のころから一貫してギリシア哲学と共に生きてきました。ソクラテスからプラトン、アリストテレスといった知の巨人たちです。現在もプラトンの著作を翻訳中ですが、古代ギリシアの探究は生涯終わることがないでしょう。

青年 じゃあ、「もうひとつの哲学」とはなんなのです?

哲人 オーストリア出身の精神科医、アルフレッド・アドラーが20世紀初頭に創設した、まったく新しい心理学です。わが国では現在、その創始者の名をとって「アドラー心理学」と呼ぶことが一般的になっています。

青年 ほほう、それは意外だ。ギリシア哲学の専門家が、心理学ですか。

哲人 他の心理学がどんな姿であるのか、わたしはよくわかりません。しかし、アドラー心理学に関していえば、明らかにギリシア哲学と地続きにある思想であり、学問であるといえるでしょう。

青年 フロイトやユングの心理学なら、わたしにも多少の心得はありますよ。たしかにおもしろい研究分野です。

哲人 ええ、フロイトやユングの存在はわが国でも有名ですね。もともとアドラーは、フロイトが主宰するウィーン精神分析協会の中核メンバーとして活躍した人でした。しかし学説上の対立から袂を分かち、独自の理論に基づく「個人心理学」を提唱します。

青年 個人心理学? また妙な名前ですね。要するにそのアドラーなる人物は、フロイトのお弟子さんなのですね?

哲人 いえ、弟子ではありません。よく誤解されるのですが、ここは明確に否定しておかねばならないところです。アドラーとフロイトは比較的年齢が近かったこともあり、対等な研究者として関係を結んでいました。この点、フロイトのことを父親のように慕っていたユングとは大きく異なります。また、わが国で心理学というとフロイトやユングの名前ばかりが取り上げられますが、世界的にはフロイト、ユングと並ぶ三大巨頭のひとりとして、アドラーの名前もかならず言及されます。

青年 なるほど。それは勉強不足でした。

哲人 あなたがアドラーを知らなかったことは当然かもしれません。アドラー自身、こんなことをいっています。「わたしの名前を誰も思い出さなくなるときがくるかもしれない。アドラー派が存在したことすら、忘れられてしまうかもしれない」。しかし彼は、それでもかまわない、といいます。アドラー派の存在そのものが忘れられること、それは彼の思想が一学問分野から脱皮して、人々のコモンセンス(共通感覚)となることを意味するからです。

青年 学問のための学問ではない、ということですね?

哲人 ええ。たとえば、世界的ベストセラーの『人を動かす』や『道は開ける』で知られるデール・カーネギーも、アドラーのことを「一生を費やして人間とその潜在能力を研究した偉大な心理学者」だと紹介していますし、彼の著作にはアドラーの思想が色濃く反映されています。同じく、スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』でもアドラーの思想に近い内容が語られています。つまりアドラー心理学は、堅苦しい学問ではなく、人間理解の真理、また到達点として受け入れられている。しかしながら、時代を100年先行したともいわれるアドラーの思想には、まだまだ時代が追いつききれていません。彼の考えは、それほど先駆的なものでした。

青年 つまり先生は、ギリシア哲学だけでなく、そのアドラー心理学とやらの見地からも、ご持論を展開されると?

哲人 そういうことです。

青年 わかりました。もうひとつ、基本的な立ち位置についてお聞きしておきます。先生は哲学者なのですか? それとも心理学者なのですか?

哲人 わたしは哲学者です。哲学に生きる人間です。そしてわたしにとってのアドラー心理学とは、ギリシア哲学と同一線上にある思想であり、哲学です。

青年 いいでしょう。では、さっそくはじめます。