2009年に「小沢ガールズ」として初当選した三宅雪子さんが亡くなった。当時、「ガールズ」議員たちは客寄せパンダとして選挙戦に利用されたが、当選後はロクな育成もされずほったらかしという扱いを受けていた。三宅さんの足跡を考えるにつけ、女性議員を選挙に利用するだけ利用して、当選後はきちんと活用できない政治システムの罪は重いと感じる。(ジャーナリスト 横田由美子)
“客寄せパンダ”だが
当選後はほったらかし
1月6日、旧民主党の国会議員だった三宅雪子さん(54)の遺体が、東京湾で発見されたというニュースがメディアを駆け巡った。
報道などによると、三宅元議員は、12月30日に自宅を出たまま行方不明となり、家族が届けを出していたが、31日未明に芝浦ふ頭付近で、かばん、靴などが発見された。遺体が発見されたのは、1月2日。遺書らしきものが残されていたことから、入水自殺とみられている。
しかし、元衆議院議員で「元祖・小沢ガールズ」として名をはせた女性議員の「自殺」を報じた記事は決して多いとはいえず、交流のあったジャーナリストの福場ひとみ氏が追悼記事を書いてはいたが、一般的にあまり話題にのぼっていなかった。あまりに寂しく、哀しい最期、というのが私の印象だった。
2009年に比例復活ではあったが、初当選を飾った時の写真を見ると、44歳にはとても見えないかわいらしさとあどけなさが残っていた。こういう女性が、権某術数渦巻く政界で、どう生きたのだろうか。祖父は元官房長官の石田博英、父は外交官と、政治家になる環境としては申し分なかったが、お嬢さん育ちで、良く言えば素直、悪く言えば駆け引きができない印象があった。
その後の彼女の政治人生の変遷や外見が激変した様子などを追っていくと、精神的に相当厳しい状況にある中で、必死で生きてきたことが推察される。
それがために、私は哀しくもなり、憤りも感じた。三宅議員の悲劇をつくりだしたのは、突き詰めてみれば政治の責任なのではないか。彼女の人生は、老獪で権力欲にかられた男性政治家によって翻弄され、つぶされたのではないかと思うからだ。
私は、生前の三宅議員と親しかったわけではなく、当時、小沢ガールズと呼ばれた女性議員たちをむしろ積極的に批判した女性記者である。私の批判の内容は、いたってわかりやすいものだった。要するに、選挙を盛り上げるための人寄せパンダとして、政治家としての準備も心構えも、経験もないが、出馬を要請され、風に乗って当選する――といったものだ。
実際、三宅さんは当時、各業界で増えていた、美貌もキャリアも家柄も併せ持つハイキャリア女子であり、2009年の政権交代選挙の「顔」のひとつになるのに十分なバックボーンを持っていた。しかし、その後、彼女を含む「風に乗って当選した女性議員」を育てる意識も余力も、当時の民主党にはなかった。