「物々交換から貨幣が生まれた」という学説は否定されている

中野 さきほどのマンキューの説明が典型ですが、「貨幣の価値は、貴金属のような有価物に裏付けられている」という学説です。物々交換は面倒くさいので、金や銀などのそれ自体で価値のあるモノを選んで、それを「交換の手段」としたというわけです。だけど、この商品貨幣論は間違いです。

――間違いですか? 日本でもかつてはコメが貨幣として流通していたそうですから、納得できるような気がするんですが……。

中野 いや、この考え方は間違いだと、本当は私たちはすでに知っています。なぜなら、1971年にドルと金の兌換が廃止されて以降、世界のほとんどの国が、貴金属による裏付けのない「不換貨幣」を発行しています。ところが、誰も貨幣の価値を疑いはしませんでした。そして、マンキューがそうであるように、商品貨幣論では、なぜ不換貨幣が流通しているのかについて納得できる説明ができないのです。

 そもそも、イギリスでは、17世紀後半、すり減って重量が減った銀貨が流通していましたが、物価や為替相場にまったく影響を与えませんでした。銀貨にはそれ自体に価値があるから流通しているのだとすれば、すり減った銀貨が同じ価値で流通しているのは“おかしな現象”ということになりますよね?

 それに、イギリスは19世紀に一時期、ポンドと金の交換を停止している時期がありましたが、そのころポンドは使われなくなったかというと、逆で、ポンドが国際通貨としての地位を確立したのは、まさにその時期だったんです。

――そうなんですか?

中野 ええ。

――ということは、かつて人々は金貨・銀貨それ自体に価値があるから貨幣として使っているつもりだったけれど、実は、別の原理によって貨幣の価値は裏付けられていたかもしれない、ということですか?

中野 そういうことになりますね。

 それに、貨幣の起源を研究した歴史学者や人類学者、社会学者たちも、今日に至るまで誰も、「物々交換から貨幣が生まれた」という証拠資料を発見することができませんでした。

 それどころか、硬貨が発明されるより数千年も前のエジプト文明やメソポタミア文明には、ある種の信用システムがすでに存在していたのです。

 例えば、紀元前3500年頃のメソポタミアにおいては、神殿や宮殿の官僚たちが、臣下や従属民から必需品や労働力を徴収するとともに、彼らに財を再分配していました。そして、神殿や宮殿の官僚たちが、臣下や従属民との間の債権債務を計算したり、簿記として記録するための計算単位として貨幣という尺度を使っていました。メソポタミアで出土した粘土板にその記録が遺されているのです。

 また、古代エジプトは私有財産や市場における交換は存在しない世界でしたが、そこに貨幣は存在していました。その貨幣もまた、国家が税の徴収や支払いなどを計算するための単位として使われていたのです。

――つまり、金貨や銀貨といった鋳貨よりも先に、帳簿で記録したり計算するための単位として貨幣が存在していたということですか?

中野 そういうことです。実際、世界史上、金属貨幣がはじめて鋳造されたのは小アジアのリディアで、メソポタミアや古代エジプトから遥か後の紀元前6世紀ごろのことだとされています。

――非常に興味深いですね。帳簿上の貨幣単位が先にあって、あとで現物貨幣が生まれたのが歴史的事実だとしたら、貨幣が物々交換や市場にける取引から生まれたとする商品貨幣論は、間違いということになりますね。

中野 ええ。歴史学・人類学・社会学における貨幣研究によって、商品貨幣論はすでに否定されています。もちろん、「貨幣とは何か?」については、現在もさまざまな説がありますが、少なくとも、商品貨幣論のような素朴な貨幣論をいまだに信じている社会科学は、もはや主流派経済学くらいのものです。

――では、商品貨幣論が間違いだとしたら、貨幣とはいったい何なのですか?