「ワニ」と「五輪延期」は
どこが似ているのか?

 そのような内部の論理が極限まで優先された結果が、ワニくんファンをシラけさせた「ゴリ押し」のビジネス展開なのではないか。

 そんなバカなことがあるかと思うかもしれないが、このような内部の論理が優先されていくと、リスクから頑なに目を背けて、社会とかけ離れたトンチンカンな方向性へ突っ走るというのは、マーケティングに限った話ではなく、あらゆる組織に当てはまる。

 それを示す好例を、実は我々はつい最近目の当たりにしている。「五輪延期」だ。

 世界中で「こんな状態でやるわけないだろ」という声が上がり、日本国内の世論調査でも7割が「無理」と回答。当のアスリートたちでさえも「延期にしてほしい」と言っているのに、日本政府、東京都、組織委員会のお偉いさんたちだけは頑なに「予定通り開催」を訴えた。「延期」という言葉を口にすることさえも許されないあの世界の人たちの空気に、薄ら寒いものを感じた人も多いだろう。

 なぜあのように一般社会の人々とかけ離れた考え方になってしまうのかというと、「内部の論理」を優先しているからだ。

 7月の開催に向けて莫大なカネが動き、さまざまな人が汗をかいている。この「身内の頑張り」が何よりも大切だという思いにとらわれると、世界から何を言われようとも、国民やアスリートにどう思われようとも、そんなものは二の次、三の次になってしまう。

 いずれにせよ、「100日後に死ぬワニ」という作品自体には何の罪もない。

 これから書籍や映画で多くの人を楽しませていただきたいところだが、ぜひその際には「ここまで頑張ってくれた人たちに感謝」という内向きな発想ではなく、純粋に「ワニくんを愛したファン」が何をしたら喜んでくれるのかということを考えて、ビジネス展開を進めてみてはいかがだろうか。