さて、今度は「床」に目を向けます。
「床」を見ながら、5秒数えてください。
では、どうぞ!

ありがとうございました。「窓」と「床」を見ていただきましたが、もちろんこれは、単なる目のリラクゼーションではありません。

まず振り返っていただきたいのは、「窓」を見たときのことです。
「窓」に目を向けていたとき、あなたの目にはなにが映っていましたか?

空、雲、風に揺れる木々、隣に建つ家、ビル、通りを歩く人……おそらくあなたが見ていたのは「窓の向こうにある景色」だったはずです。
私は「『窓』を見てください」といいましたが、「透明な窓ガラス」という「窓そのもの」だけを見つめた人はいないだろうと思います。

アート作品のなかでも、絵画はまさにこの「窓」に似ています。
絵画を鑑賞するとき、私たちはその絵を通して、そこに描きこまれている「イメージ」を見ています。
「窓を見てください」といわれて、「窓ガラス」を見る人がまずいないのと同じように、「絵を見てください」といわれて、壁にかけられた物質としての「絵そのもの」に目を向ける人はなかなかいません。

ちょっと難しい話になってきましたので、具体例と一緒に考えてみましょう。
ルネ・マグリット作になる《イメージの裏切り》という作品をご存じですか?

この1枚の絵に目を向けるとき、私たちは「パイプ」という「イメージ」を見ています。
しかし、そのイメージは私たちの頭のなかにあるものでしかなく、「架空」の存在でしかありません。
イメージとしてのパイプが「架空のもの」でしかないのだとすると、「現実」にあるのはなんなのでしょう? いま、あなたの目の前にあるのはなんですか?

この文章を「PC」や「スマートフォン」で読んでいる方であれば、「一定の色彩パターンで光っている液晶画面」といったところでしょうか。もしも印刷して読んでいるのであれば「一定の配列のインクに覆われた紙」という答えになるでしょうし、美術館でこの絵画の実物を鑑賞しているのなら、「ある配列の油絵具で覆われたキャンバス」になるでしょう。

じつはこのマグリットのパイプの絵は、こうした事実を皮肉った作品です。絵のなかに書き込まれている「Ceci n’est pas une pipe.」は「これはパイプではない」を意味するフランス語です。この絵は「パイプのイメージ」である以前に、「3次元の物質」です。現実に存在しているのは、そうした物質にほかなりません。

しかし面白いことに、私たちがこの作品を見ているとき、「キャンバスと絵の具」とか「紙とインク」といった物質は、「窓」のように「見えない」存在となり、完全に姿を消しています。
このとき、「そこに絵の具が貼りついたキャンバスがある」という「現実」は背景に退き、私たちにはパイプの「イメージ」のほうが「見える」ようになっているのです。