もしも目の前に実物のパイプが落ちていたら、たとえ犬でもそれを認識するでしょう。クンクンと匂いを嗅ぎ、おもちゃにするために口に咥えてどこかに持っていってしまうかもしれません。
しかし、キャンバスに描かれたパイプの絵が置かれていても、犬のなかにはパイプの「イメージ」は浮かび上がりません。犬はそれを「物質としてのキャンバス」としてしか認識しませんから、キャンバスの上でお昼寝をはじめてしまうかもしれません。

このような「イメージの力」は、人間ならではのものだといえるでしょう。しかし、そうであるがゆえに、私たちには「物質としての絵」が見えなくなっているのです。

ポロックの《ナンバー1A》が
私たちに見せようとしているもの

「窓」の話の次に思い出していただきたいのが、「床」のほうです。
さきほど「床」を見たとき、あなたの目には「なに」が映りましたか? あまり覚えていないという方は、いま一度「床」に目を向けてみましょう。

このとき目に入ってくるのは、「床そのもの」であるはずです。床板・絨毯・コンクリート・畳といった材質そのものや、その上にあるホコリ・髪の毛・染みなどが目に留まるかもしれません。

「窓」を見たときとは違い、「床」を見たときには「床の向こう側」を見ることはできません。目に映るのは「床そのもの」です。

さて、従来のあらゆる絵画が「窓」のようなものであったのとは対照的に、ポロックの《ナンバー1A》は「床」に似ています。
あなたの目に映った床板・絨毯・コンクリート・畳は、《ナンバー1A》でいうと「キャンバス」です。そして、床の上にあるホコリ・髪の毛・染みは、この絵でいうとキャンバスの上に載せられた「絵の具」です。

《ナンバー1A》は「床」のように不透明で、ほとんど「奥行き」がありません。
「床の向こう側」になにも見えないように、この絵の向こう側にはなんの「イメージ」も見えません。その代わりに、私たちに「見える」のは、「表面に絵の具が付着したキャンバス」という物質であり、それ以上でもそれ以下でもないのです。

おわかりでしょうか? ポロックは、私たちの目を「物質としての絵そのもの」に向けさせようとしているのです。

絵画が初めて「絵画そのもの」になった瞬間

「絵は『絵の具』と『キャンバス』でできているなんて、わかりきっているよ」
「ポロックが生み出した『自分なりの答え』はそんなにすごいことなの?」

そう感じた人もいるかもしれません。
しかし、それまでの長いアートの歴史のなかでは、絵を描く人も見る人もみんな、絵を「透明な窓」のようにとらえて疑いませんでした。というよりも、自分たちがそこに描かれている「イメージ」にしか目を向けていないという事実に、気づいてすらいなかったのです。

ポロックの着眼点はまさにそこでした。
「ほかのなににも依存しない『アートそのもの』があるとしたら、それはどんな姿をしているのだろう?」――彼はそんな問いに向かって「探究の根」を伸ばしはじめたのです。