梁瀬次郎
 輸入車販売のヤナセは、三井物産機械部に勤務していた梁瀬長太郎が1914年に、同社からビュイック、キャデラックの輸入販売事業を引き継ぐ形で独立、東京・日比谷公園前に店舗と工場を構えたのが始まりだ。

 45年5月、長太郎の次男である梁瀬次郎(1916年6月28日~2008年3月13日)が2代目社長に就いたが、第2次世界大戦の終戦直後は工場に残っていた資材を使って下駄やフライパンを作るのがやっと。貿易業も英文タイプライターの輸入などでほそぼそと再開した。48年には米ゼネラル・モーターズ(GM)からキャデラック、ビュイック、オールズモビル、ポンティアックなどの販売権を得て、本格的に事業再興が始まる。52年に独ダイムラー・ベンツ、53年には独フォルクスワーゲンの販売権も獲得。その後は高度経済成長に後押しされ、躍進を遂げる。

 今回紹介する梁瀬次郎へのインタビューは、「週刊ダイヤモンド」1977年6月4日号に掲載されたもの。この頃、梁瀬は「大型車の国内生産を中止して輸入に切り替えよ」と提唱していた。輸入車販売業のトップとしてはいささか“我田引水”に聞こえるその主張の、真意をただすために行ったインタビューである。

 さすがに、若い頃から海外を行き来した「国際人」として知られる人物。そんなにあからさまに手前みそな主張をするはずがない。記事中、梁瀬が強調していたのは、「これからの自動車産業は商人の発想を持たねばならない」というものであった。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

国内自動車メーカーには
協調精神が必要だ

週刊ダイヤモンド

1977年6月4日号より 拡大画像表示

──梁瀬さんは自動車産業に、いま提唱していることがありますね。

 私は数年前から日本の自動車産業の曲がり角ということを言い続けてきたんですが、昨今、本当に曲がり角に直面した、自動車業界の首脳部の方は勇気を持って決断を考えなければならぬ重要なときに当たっていると思うんです。私は日本の自動車業界は第4期を迎えたとみています。

──それはどういうことですか。