反発の嵐の中に放り込まれる

 しかも、私が秘書課長に着任した直後に、事態は急展開を遂げました。

 突如、イタリアに本拠を置く大手ピレリが、ファイアストン株式の公開買い付けを公表。ここでピレリにファイアストンをとられれば、ブリヂストンは窮地に立たされる。そう判断した社長は、ほとんど瞬時にファイアストンの買収を決断。文字通り「勇猛果敢」な決断をくだしたのです。

 買収金額は約3300億円。当時の日本企業としては最大規模の外国企業の買収で、「買収価格が高すぎる」「経営統合に成功できるのか」と、社内外で反発の嵐が吹き荒れました。

 それも当然の反応ではありました。
 1日1億円の赤字を出しているうえに、大規模リコールの後遺症で、ファイアストンの経営状況は最悪。通常のソロバン勘定では合わず、当社にグローバル人材が乏しかった状況からすれば、どうみたってリスクしかなかったのですから……。

 しかし、この買収を成功させなければブリヂストンに未来はない。バックキャスティング(あるべき未来から逆算すること)で考えれば、この選択肢しかないのです。だから、社長は、反発を受けても頑として譲りませんでした。こうして、私は、社長の“特命スタッフ”として、大荒れの情勢の中に放り込まれることになったのです。

参謀とは「泥臭い仕事」である

 生活は一変しました。ファイアストン買収プロジェクトはアメリカ時間で動くので、社長は毎日早朝出社となります。だから、私も毎日5時半出社で、会社を出るのは23時過ぎ。昼食をゆっくりとることもできず、仕事の隙間を見つけては、社員食堂に駆け込み、パパッとご飯をかき込んですぐに席に戻るという毎日でした。

 私に求められたのは、社長の分身のような役割。社長に上がってくる案件のかなりのものは、いったん私のもとに届きます。そして、社長既読の文書は全部私のところに降りてきました。

 毎日、何百枚もの書類にすべて目を通し、不明点や疑問点があれば関係部署に確認。場合によっては、書類の内容がより正確に伝わるように補足メモを付すなどして社長に上げます。社長から質問があったときには、その場で即答できなければ私の存在意義はありません。社長が最短の時間で最高の意思決定ができるようにサポートするのが私の役割だからです。

 そして、社長の意思決定を受けて、それを関係部署に説明に回るのも私の役割。通り一遍の説明や、社長の威を借りたような態度では反感を買うだけで、心の底から納得してもらえませんから、「理」と「情」を尽くして対処しなければなりません。

 トップと現場の円滑なコミュニケーションを実現する潤滑油のような役回りですから、地味で目立たない存在であることが基本。各部署が多忙を極めている中で、社長からの“無理難題”を受け入れてもらうために、気疲れを強いられたものです。ときには、面罵されたことすらありました。

 当時は、歯を食いしばって耐え忍び、一歩ずつ前進するほかありませんでしたが、いまとなれば、これは「役回り」として避け得ないことだったと思います。