女性の社会進出は着実に進んではいるものの、道半ばの状況
きっかけは1979年、国連で採択された「女子差別撤廃条約」である。日本も1985年に同条約を国会承認し、批准。同年、「勤労婦人福祉法」を改正した「男女雇用機会均等法」が成立、「労働基準法」も改正された。
ただ、仕事における女性差別の禁止は、当初、かなり限定的なものであり、採用や配置・昇進の差別まで全面的に禁止されたのは、1997年になってのことであった。
それでも90年代になると女性の社会進出は着実に進んだ。少子化対策という“追い風”があったからだ。一見、矛盾しているようにも思えるが、「女性の就業率が高い国・地域ほど出生率も高い」といったデータが知られるようになり、女性の社会進出と少子化対策がリンクするようになったのである。
1992年には「育児休業法」が施行され、休業中の経済的支援や育児休業利用者の不利益取り扱いの禁止などが規定された。
1999年には「男女共同参画社会基本法」が成立。これを受けて、女性の幹部社員の割合や男性の育児休暇取得率等の数値目標が設定されるなど、ポジティブアクションの導入が進められたりした。
2000年代になると、「育児や家事は女性の役割」といった慣習を変えるべく、ワークライフバランスが注目され、「育メン」「育ボス」なる流行語も生まれた。
しかし、出生率はその後も低下を続け、2005年には明治以降で初めて、総人口が減少に転じて現在に至っている。また、社会における男女格差を測った「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」(世界経済フォーラム発表)における順位も日本は低いままで、女性の社会進出は道半ばである。