怪しい主張(3)
モノからコトへというサービス経済の時代にあって、ものづくりの前途は暗い。

 これも、耳当たりのよい言葉に潜む罠に引っかかった、浅い考えの典型でしょう。「これからは、モノつまり構造物を売りっ放しにする時代ではなく、モノ(構造)からコト(機能)を取り出して、それをサービスやソリューションとして売ることが重要になる」という見解に、まったく異論はありません。その通りです。ただしその背後には、よいモノ(物財)をよく操作するから、よいコト(サービス)が生まれ、逆によいコト(生産サービス)があるから、よいモノがつくれるという、つまりモノとコトの関係は概して補完的であって代替的ではない、という「モノゴトの本質論」があります。

 たとえば、良質のモビリティサービス(コト)、たとえばライドシェアリングやカーシェアリングは、よい設計の自動車(モノ)、よい技量の運転手、よい制御ソフト、そしてよい品質の道路があって初めて成立します。たいていの場合、よいモノがあって、初めてよいコトが発生するのです。

 ところが、「モノからコトへ」という言葉の語呂のよさに流され、その背後にある当たり前の現実や論理を見失うと、「コト(サービス)の時代にモノ(物財)は重要でなくなる」などと、あたかも両者が二者択一で代替的であるかのような議論を始める人が出てくる。それは、まさにモノゴトの本質を見誤った錯覚にほかなりません。

 経済はサービス主導となり、先進国の製造業は高コストかつ低収益ゆえに、縮小・衰退の一途をたどらざるをえないとの主張もありますが、モノゴトはそう単純ではありません。たしかに、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドットコム)に代表されるインターネットサービスやソフトウェアが、すさまじい成長率や利益率で世界経済を引っ張っているのは事実です。

 しかしその半面、日本の製造業の付加価値生産性が、サービス業など非製造業のそれよりはるかに高いことは、すでに見てきた通りです。グーグルの主な収益源はたしかに広告サービスですが、アップルの売上げの約9割はiPhoneなどの物財です。世界のモビリティサービス産業はたしかに600兆円はありそうですが、自動車という物財産業もざっと300兆円はあります。

 つまり、モノあってコトあり、コトあってモノあり、両方大事という補完関係がモノゴトの本質です。コトが増えれば自動的にモノが減るという立論は、それこそ言葉遊び的な空論でしょう。重要なのは、その企業がサービス業か製造業かの二元論ではなく、その企業が、よいオペレーションとよいストラテジー、たとえば強い現場力と強い戦略力を兼ね備えているかどうかなのです。

 実際、デジタル・トランスフォーメーションで出遅れたといわれる日本の製造企業であっても、現場の強いものづくり能力によって他に真似されない製品を確立し、しかも自社標準を世界に認めさせるなど、本社のアーキテクチャー戦略も優れ、要するに「強い現場・強い本社」を備えている会社もあって、しかもその製品でグローバルトップのシェアを獲得している企業であれば、企業規模の大小を問わず、多くが高い成長率と20%近い営業利益率を示しています。

 結局、大事なのは、モノかコトかではなく、モノもコトも含めたマネジメントのよさなのです。つまり、製造企業にとって重要なメッセージは、「よいモノを売りっぱなしにするのではなく、よいモノからよいコトつまりサービスやソリューションを引き出すこと」、つまり「モノから『モノ+コト』へ」ではないでしょうか。

 要するに、サービスという機能(コト)は、ある環境下である物財(モノ)を操作することによって、初めて発生します。運転手が乗客のために自動車を運転すれば、タクシー業やライドシェアリング業、客に貸し出せばレンタカー業やカーシェアリング業、乗客自身が運転すればセルフサービス、つまり経済学的に言えば「消費」になるわけです。ICT技術によるマッチングの向上で、車というアセットの稼働率を向上させたウーバーのようなプラットフォーマーにしても、所有するか否かは別として、そもそも自動車というモノ(アセット)がなければ成立しません。

 たしかに、アセットの稼働率が上がれば、物財(モノ)当たりのサービス(コト)の付加価値は上昇するわけですから、一国経済に占めるサービス産業のシェアは拡大するでしょう。その意味で、サービス経済台頭論は正しい時代認識です。ただし、「だから製造業は衰退する」という悲観論は短絡的であり、まさに言葉に振り回されてモノゴトの本質を見失った空論と言わざるをえません。