日本の若者たちが
「かわいそう」な理由

 総統を退任後、心臓病の治療で日本へ行きたいと言ったら、外務省は上を下への大騒ぎになった。また、慶應義塾大学で講演するためにビザを申請したときも同様だ。あのとき私は「日本政府の肝っ玉はネズミより小さい」と言って怒ったのを覚えている。

 国会議員や外務省の官僚、あるいはマスコミにもチャイナスクールのような人たちがいる。なぜ日本人の中に、これほどまでに中国におもねる人が多いのだろうか。おそらくあの戦争で、日本が中国に対して迷惑を掛けたことを償わなければいけないという、一種の贖罪の意識が座標軸にあるのではないか。

 ただ、こうした贖罪意識と、国家の政治や外交とは全く別のものであるべきだ。いつまでも中国に対する負い目を感じる必要はない。最近は、日本の外交もようやく言うべきことを言い、ペコペコ頭を下げなくなってきた。これは、日本人が自信を取り戻しつつある表れではないかと感じている。

 リーダーに限らず、いまの日本人に知っておいてもらいたいことがある。日本の若い人たちがかわいそうなのは、「昔の日本は悪いことをした。アジアを侵略した悪い国だった」と一方的な教育を受けていることだ。日本は世界各国から批判されていると思い込み、自信を失ってしまっている。

 台中の日本人学校で講演をしたことがある。99年の大地震で台中日本人学校の校舎が倒壊し、私はすぐにでも何とかしてあげたいと考え、土地を見つけて校舎を建て直した。その後、この日本人学校に招待され、生徒たちを前に日本の統治時代の台湾はどうだったかといったような話をしたのだ。その内容は具体的には、こんなことだった。

 児玉源太郎・第4代台湾総督の民政長官だった後藤新平は、わずか8年7カ月で台湾を「1世紀も違う」ほどの近代的な社会につくり上げ、今日の繁栄の基礎を築いた。台湾を近代化し、経済を発展させるために後藤が最初にやったことは、仕事のできない日本人の官吏1080人を首にして日本に送り返すことだった。よほどの覚悟と決心がないとできないことだ。

 その一方で各方面から有能な専門家を台湾に集めた。その中には新渡戸稲造や、台湾でいまだに神様のように尊敬されているダム技師の八田與一をはじめ、数多くの能力のある日本人がいた。彼らが台湾のために働いたおかげで、現在の台湾があるのだ。

 こういう話をしたら講演後、中学生の生徒代表が、「今日のお話を聞いて、自信が出ました。今までは街を歩くときに、なんだか肩身が狭い思いをしていましたが、明日からは胸を張って歩きます」とうれしそうに言ってくれた。私もうれしくなって、「がんばりなさい」と励ましたことを覚えている。

 終戦後の日本人が価値観を百八十度変えてしまったことを、私はいつも非常に残念に思っている。若い日本人は、一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならない。そのためには、リーダーたる人物が若い人たちにもっと自信をつけてあげなければならない。日本人はもっと自信を持ち、日本人としてのアイデンティティーを持つ必要がある。そうして初めて、日本は国際社会における役割を担うことができるはずだ。