もともとアジアにおける経済発展は、日本の明治維新や戦後復興がモデルだ。国家が基礎になって「資源の配分」を行う方法である。明治期の日本ならば、農民からの地租(租税)を基に財政を調え、工業に資金を再配分した。
戦後復興であれば、重化学工業への傾斜生産方式がそれである。終戦後、台湾大学に編入するまでの1年、私は京都帝国大学(現京都大学)に通っていた。校内は寒く、ストーブはなかった。燃料となる石炭は全て工業に回されていたのである。
私が12年間の台湾総統時代に実行したのも、国家による資源の配分だ。まず力を注いだのが、農業の発展である。そして農業分野で生まれた余剰資本と余剰労働力を投入して、中小工業を育成した。日本の発展が台湾にとって偉大な教師となったのだ。
経済成長については従来、米国式の新自由主義経済モデルである「ワシントンコンセンサス」と、権威主義的な市場経済の「北京コンセンサス」が比較されてきた。ワシントンコンセンサスは本来、国際経済学者のジョン・ウィリアムソンが使った言葉だ。どのようにしてラテンアメリカ諸国の債務問題を解決するかについての論文において、使った用語だった。
ウィリアムソンはこの論文の中で、「税制改革、金利自由化、貿易自由化、国営企業の民営化、規制緩和」など、10項目に及ぶ経済政策を主張している。これらの主張からは、ワシントンコンセンサスが本質的に、新自由主義と呼ばれる経済政策のモデルだと分かる。東西冷戦を経て米国が世界で覇権を握る唯一の国家となると、新自由主義は米国型資本主義のイデオロギーとなって、経済のグローバル化を大きく推進する起爆剤となった。
一方、北京コンセンサスという概念は、中国経済の崛起とグローバリズムにほころびが見え始めた現象に基づき、米国のコンサルタント(編集部注:ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官が立ち上げた地政学コンサルティング会社キッシンジャー・アソシエーツのジョシュア・クーパー・ラモ氏)によって提唱されたものだ。
基本原則としては「柔軟性と実用主義」「生活の質と所得分配の双方に配慮した発展目標」「国家の自主性」などが挙げられる。実用主義とは、鄧小平が言った「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫が良い猫だ」という言葉に端的に表される考え方だ。国家の自主性とは、ワシントンコンセンサスが自由市場や財政規律化といった名目で、他国の内政に強制的に介入するようなやり方を用いたのとは異なり、国家は独立性を積極的に求めるべきだという主張だ。
ワシントンコンセンサスが一律適用と自由開放を強調したのに比べ、北京コンセンサスは独自性と政策のフレキシブル性を強調している。表面上、北京コンセンサスはワシントンコンセンサスより優れているように見える。だがその裏側にある、独裁政治の欺瞞性を見落としてはならない。
ワシントンコンセンサスについては自由放任市場と民主主義には関連性がないことが明らかになったし、北京コンセンサスも人権などの普遍的価値が経済発展に重要であるという基本的認識を欠いている。そして前述のように、日本と台湾の経済発展がたどってきた道は、この二つのどちらとも明らかに異なる。政府が強力な経済政策を主導することに関して、近年の日本で懐疑的な見方が強くなっているようだが、それはこうした過去の経験が忘れられているせいではないか。