OEM型産業は発展したが
経済の自主性は損なわれた
台湾社会がはらんでいる最大の危機のかたちは、民主化以来の二十数年、ほとんど変わっていない。すなわち、中国との統一か、さもなければ台湾独立かという、「友でなければ敵」といった極端に対立する主義が国を二分していることだ。「青(国民党)か緑(民進党)か」という状況の中で、物事の是非を考える分別は消え、理性を求める余裕が失われている。
この二つの極端な主義は、平和的な政権交代が実現した2000年以降、よりいっそう顕著になったように感じる。これは社会の調和や団結に負の遺産をもたらしこそすれ、決して台湾社会のプラスにはならない。私はそう警鐘を鳴らしてきた。
当時から私が指摘していたのは、台湾社会を分裂させているのは貧富の格差ではなく、種族でもなく、宗教でもなく、アイデンティティーの分裂こそが原因であった。このアイデンティティーの分裂は、台湾の歴史と深い関係を有している。台湾が、長期にわたって外来政権あるいは独裁政権による統治を受けてきた結果の歴史的産物であるからだ。
台湾は80年代末期以降、困難の中から民主化を実現し、国家のアイデンティティーを確立し、エスニックグループの対立を解消させた──ように見えた。だが台湾が経済発展の鍵として採用したOEM型産業によって、経済の真の自主性を欠く結果となった。国際的なブランドは分裂し、価格競争に勝ち残るために中国へと移り、国内の産業空洞化が急速に進んだ。
今の台湾社会では中国がもたらした利益と損失の対立が、さらに深刻になっている。これはまさに場所の悲哀であり、台湾が長期にわたって正常な国家になれずにいる悲哀だ。
結果的に今の台湾の民主政治は奇怪な「投票箱文化」と相なっている。国民は選挙のときにしか選択する権利を行使することができない。また小選挙区制度のため小党の生存空間は封殺され、選択の幅はさらに狭まり、二極化に拍車が掛かっている。私は2000年に民進党が政権を取ってから、民進党を時にバックアップし、時には路線修正させるために第三党となる台湾団結聯盟をつくりもした。だが徐々に力は発揮できなくなり、結局、有権者は単純な「青か緑か」という構図に収斂している。
こうしたゆがんだ構図を目の当たりにして、私は「自由としての開発」(編集部注:ノーベル経済学賞の受賞者であるアマルティア・セン氏の著書『自由と経済開発』の原題)を強く意識せざるを得ない。すなわち政治的自由と経済的能力、社会の流動性、責任の透明化、安全といった要素は、手段と目標として全て不可分であるということだ。そして成熟した健全な政治経済社会体系では、あらゆる局面で必要とされる。