国民の間では、他人に極端な感染防止を迫る自粛警察が増殖。相手にまで自分の信じる正義を押しつける不気味な状況が広がった。マスクをしていない小学生に怒鳴りつける老人がいたというから常軌を逸している。

 さらに興味深いのは、そんな緊迫した状況から、感染者が激減した瞬間、手のひらを返したように国民の意識と行動が変わってしまったことだろう。感染者の減少で国民の多くは緊張の糸が切れてしまった。緊急事態宣言時は自粛や「3密を避けよう」を合い言葉に、徹底して他人との接触や外出を控えていたのが、宣言が解除されたとたん、たちまち都会は人であふれ、満員電車が復活し、夜の街へ繰り出す人々が続出した。

 結果、当然のことだが、緊急事態宣言の解除から1カ月しか経っていないのに、再び感染者が激増してしまった。喉元過ぎれば熱さ忘れるとは言うが、あまりに危機感がなさすぎる。

 いずれにせよ、日本という国は危機を迎えたとき、歴史的にどのような対応をしてきたのか。私は今回の「コロナ対応」は、日本史の中で決して例外的な反応ではないと思っている。

明治時代「恐露病」の反応はコロナ禍と似ている

 明治時代、日本人の間に「恐露病」という病が流行った。本当の病気ではない。ロシアに対する恐怖にとらわれ、いつかロシアは日本に攻めてくるのではないかという過剰な対外危機意識である。

 よく知られているように、ロシアは領土を南下させる政策をとっており、アイヌと密かに交易を行ない、十八世紀後半からはたびたび江戸幕府にも開国を求めるようになった。

 幕末には、ロシアの軍艦がにわかに対馬に上陸、不法に土地の一部を占拠する事件も起こっている。

 この頃から日本人は、ロシアの魔の手は朝鮮半島、さらには北海道にも伸びてくると恐れるようになった。とくに恐露病が悪化したのは明治24年(1891年)のこと。同年五月、来日したロシア皇太子ニコライが、琵琶湖遊覧から京都へ戻る途中の大津で警備の巡査に襲われ負傷したのだ(大津事件)。