白と黒の明確化が普通のサラリーマンを脱法に誘う
強い負のレッテルが生まれると、そこから外れる「逆レッテル」に人々を参入させる誘引が働く。
その薬物が違法か脱法か。薬物に「ハマり」やすい人間にとってそれは問題ではない。そして、「ハマり」やすい者の中には、周囲に、あるいは自分自身に害を及ぼす人間が出てくる。しかしながら、行政は薬物依存性の個人差など考慮しているわけにはいかない。社会で一律に適用される「法・制度」や「規範」を用意し、白/黒をつけようとする。
そういった状況において、本来、違法と脱法の狭間に横たわるはずのグラデーションの中に、違法/脱法を区切る明確な補助線が引かれる。そして、ある部分が「黒」とされると、そこに身を置いていた人々は退場する(させられる)こととなり、「社会統制(法や制度による社会の管理)」や「社会化(規範による社会管理)」が達成されることになる。
ところが、グラデーションの中にある「グレー」な部分であったにもかかわらず、白/黒の補助線の設定、すなわち「黒」が明確化されることによって、皮肉なことに、本来はグレーなものが「白」とされる部分が生まれ、人々はそこに駆け込む。
「白/黒つける」「合法/脱法の規制を構築していく」作業は、問題をなくすもしくは減らす意図を持ってなされているはずだが、二分化を進めれば進めるほど、本来の意図に反して「脱法」へと人々を誘導することになる。ごく普通のサラリーマンが「脱法ドラッグ」に手を出して新聞沙汰になるように、想像を超えた範囲にまで問題が拡大されるというパラドクスがそこに生まれるのは確かだろう。
「脱法ドラッグ」に対して、現在にもつながる厚生労働省や自治体の本格的な規制が始まったのは、2000年代半ばからだ。公には「薬事法に基づけば、ドラッグとして使わないという建前があろうとも違法なものは違法」と「違法ドラッグ」という呼び名を与えることでその規制は行なわれている。
しかし、関係者はこのように語っている。
「関西では、堂々と脱法ハーブの自販機なんかができて、摘発されて話題になったけど、例えば、東京でも池袋・新宿・渋谷で10件以上は脱法ハーブの店がある」
「今はみんなネットで買ってるんでしょ。都会だと、電話したら寿司みたいに出前してくれるところもあるくらい。店に来るのも普通の会社員、まともそうな若者が多い」