佐藤優氏絶賛!「よく生きるためには死を知ることが必要だ。」。病理医ヤンデル氏絶賛!「とんでもない本だった。語彙が消失するほどよかった」。「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』が発売直後から話題となっている。コロナの時代の必読書である本書の著者・橋爪大三郎氏の特別インタビューを全5回にわたってお届けする。最終回は、「死」について考えることがなぜ大切なのか、そして著者が「死」をテーマに、この本を執筆した理由について話を伺った。
(取材・構成/川代紗生)
だんだんと終わりが近づいている
──最初にこの本を書こうと思ったきっかけを教えてください。
橋爪 20年ぐらい前ですかね、親が死んだということがひとつ。あとは、2019年に、だいたい同じ年で、対談もしている人が、次々に亡くなっちゃったんだ。1月に橋本治さん、5月に加藤典洋さんが亡くなってしまって。
橋本さんとは運良く、雑誌で対談して、それを本にしたこともあった。加藤さんとは、物書きとして付き合い始めたのは、1986年だと思うから、35年ぐらいの付き合いですね。ずうっと関心を持っていたんですけど、亡くなってしまった。ということは、自分もだいたいそういう世代になったということだ。
誰にとっても自分が死ぬということは、夏休みの宿題みたいなものなんですよ。夏休みの宿題って、なかなか片付かなかった思い出がありませんか? もっと大事なことがある。今日じゃなくてもいいやと思う。そうすると、気がつくと溜まっている。
さて、人生って、夏休みと違って、終わりがいつかよくわからない。
だけど、明らかに毎日、過ぎていって、だんだん終わりが近づいていくということがあるわけじゃないですか。で、やっていないことは何だろうと思うと、自分の人生について、よく考えていない。これがやり残した夏休みの宿題状態だ。
そんなこと、やらなくてもいいなら、無視しちゃえばいい。でも、無視できない。皆さんにとって、そうだとすれば、私にとってもそうです。私は、どうせ考えようと思っていたので、そこで商売っ気を出して、自分が考えるなら、みんなにも伝えましょうと思ったわけです(笑)。
先延ばしにしていると手遅れになる
──いろいろな宗教の知識をまとめながら、ご自身でも「死」について考えられたのでしょうか。
橋爪 宗教というのは、死を考える場合の、いわば鉄板なんです。日本には、鉄板がいくつもあって、どれにしますか? みたいな国なんです。これって、かえって困るでしょ。
日本人は昔、田舎に住んで、農業をやっていた。代々このイエに住んで、この田んぼを耕して、長男だったら、そこの跡取りになって、女性だったら、お嫁に行って……と、8割から9割の日本人はこうやって、イエに住んでいた。
町場には家族でやっている「三河屋」や「越後屋」などの商店があった。自分が生まれた家でがんばって商売して、あるいは奉公に行った先の店でがんばって番頭になったり。仕事を大きくしていかなくちゃと、家単位でがんばっていた。
つまり人生って、選択の余地なく、「イエ」に組み込まれていたんです。当時の「イエ」って、今で言う会社みたいなもので、ビジネス単位なんですよ。そして「イエ」の特徴は、自分の人生より長続きするということです。
自分の人生をそのイエに埋め込んでしまわないと、自分も生きていけないし、みんな、生きていけない。親もそうしてきたし、子どももそうする。じゃあ、イエはどういうものかっていうと、仏壇があって、位牌があって、お寺さんがあって、年忌法要があって、それで三途の川を渡って、たまにお盆に帰ってきてって、それ以外ないじゃない。それ以外ないんだったら、それ以外、考えてもしょうがないんですよ。
というふうに、日本人はずっとワンパターンで考えてきたんです。つまり死の問題って、これ以上、深く考えることができなかった。それが、明治になると、医学や理科、法律なども伝わって、だんだんイエが壊れていった。おそらく今、イエがビジネスやっていますという人は、国民の2割以下ですよね。
残りの人はサラリーマンなんです。サラリーマンの特徴は、親の職業と子どもの職業が関係ないということ。親が自分のビジネスを子どもに受け渡せないんです。そうすると、子どもは学校に行って、まったく新しい人生を始める。だから、自分の人生は自分中心で回っている。
1945年ぐらいまではまだ、半分ぐらいはイエだったから、こういうふうじゃなかったな。1970年ごろから明らかにイエは終わりになって、バブルが弾けたころからは、国民全員、ほぼ全員、サラリーマンになっちゃった。だから死の考え方って消えちゃったんです。
自分の人生をイエに預けていたら、イエには死の考え方があった。イエとは人間の生き死にを超えて続くビジネス事業体なので、死の儀式があったんです。
会社は、墓地を併設したりしないでしょ。死んだら、会社のメンバーじゃない。そもそも死ぬ前に退職したら、もう会社のメンバーじゃないんだ。
つまり自分の人生より、会社人生は明らかに短いわけです。自分の人生は会社と別にある。じゃあ、家族と一緒にあるかっていうと、家族はもう「イエ」じゃない。
よって、自分の人生って、「自分サイズ」になっちゃったんですよ。ということは、自分の死のことを考えてくれるのは、自分しかいないんだ。
──でも、自分ひとりで受け止めないといけないのは、大変ですよね……。
橋爪 大変ですよ。一人ひとりが哲学者になったり、宗教者になったりしなきゃいけないんだから。でも、それをパスしていると、どんどん、年配になる。何も考えていないけど、集中治療室でスパゲッティ状態になっちゃったら、ちょっと手遅れですよね。
親がまだ生きているとか、元気なうちに考えるべきです。元気だと、考えられる。よって、自分が死んだら、どうなるか、自分で考えなきゃいけないビジネスマンが読むべきなんだ。