今も「拠点校」や労組から獲得される若手構成員

 こうした状況が、彼らの「過激じゃない派」化を進めている。Aをはじめとする「過激派」が、具体的かつ集団的な暴力・テロを、少なくとも外から見やすい形で為すことがなくなったのは90年代前半のことだ。

 当然ながら、国家権力は、今も「暴力革命」による「資本主義国家の打倒」を目指す看板は下ろしていない以上、彼らを「過激派」と呼びながら治安維持に努め続けている。しかし、ここ20年間を通して、党派によってその力点の置き方は異なるが、大衆への浸透、警察など「権力」への諜報、党派内部を細分化する形で行われる小規模かつ断続的な内ゲバ……など、その「過激さ」は「世間」から見えにくい場所へと追いやられてもいった。その背景には、1970年代以来の「大衆からの孤立」のさらなる深化、そして「高齢化問題」があることは確かだろう。

 ただ、世間からの注目も、少なからぬ構成員やシンパ(構成員にならずとも同調し、物質的・心理的に支援する者)が多くの党派から離れていく時代が続いた一方で、若手が全く育っていないというわけでもない。その「入り口」の一つは「学生運動」組織だ。

 各党派は、それぞれ「拠点校」などと呼ばれる大学を持ち、その学生自治会や政治・勉強会サークルなどに構成員を根付かせ、そこで新たなメンバーを獲得しながら、「少数精鋭」ではあっても幹部育成を行ってきた。

 それは、90年代まで、「面倒ごとを嫌う」大学が放置したことも相まって続いてきたと言える。例えば、ある党派が大学に存在することによって、他の党派が入ってきてさらに秩序を乱すことがないからと黙認する。その代わり、活動を黙認された党派も騒ぎを起こさないという「共生」関係が生まれたところもあった。

 しかし、90年代末から2000年代にかけて、全国の大学学生寮の解体、自治会の収入源となる学園祭からの各党派の排除など、警察と大学の協調のもと「過激派つぶし」が実行され始める。その結果、急激に衰退する党派も生まれた。かつては無数にあった新左翼党派の学生組織も、現在では、まともに活動の維持を確認できるところは10に満たない状況となり、活動を維持している学生組織の多くが、構成員数の定義を広くとっても数名から数十名程度の規模になっていると見られる。

 その一方で、それでも残存する党派がある背景の一つとして、「労働運動」の存在がある。「労働運動」は、企業や自治体などの組合を軸に組織化されている。ここには、団塊の世代やそこに強い影響を受けた40~50代もまだ残っているところが多い。

 労働組合(労組)には、いかなる政党・党派とも関係を持たないものもあれば、民主党系・社民党系・共産党系とされる国会に議席を持つ政党の影響が強いもの、さらに新左翼・「過激派」党派との関係が強いものもある。そして、その構成員は、組合の上部に位置する政党・党派の方針に一律に従って、署名、集会やデモ、休日には選挙のビラまき、ときには支持する政治家の街頭演説会の聴衆として動員されもする。

 しかし、近年では、そのような政治活動に対する職場での意識低下、一律の動員や負担への嫌悪感等のなか、大きな流れとして労組の組織率が下がっている側面がある。

 もちろん、いわゆる「ブラック企業」の問題などとして表面化する、若年層を中心とした労働問題は存在する。そこには、非正規雇用者でも加入できる「ユニオン」と呼ばれる、これまでのような企業別・自治体別ではない形の労組も生まれているが、それもかつての「労働運動」の勢いを取り戻すまでは至っていない。

 しかし、そういった「苦境」の中にあっても、新たな構成員がそこに全く集わなくなっているというわけではない。20代、30代の若者もそこにはいる。彼らはなぜ今「過激派」に集うのだろうか。

 その多くは、やはりこれまでどおり「拠点校」からの獲得や労働組合の数少ない若手加入者である。しかし、そうではない例もある。