「『物理的な武装』だっていとわない」と爽やかに語る青年
「とにかく社会を良くしようという気持ちがあって」と語るタカイは、高校生のころから、実家の近くにある政党の地元事務所に出入りして、年長者と政治の議論をしていたという。そして、大学に入学して勉強に必死に打ち込むなかで、政治への思いを具体的なものにつなげようとしていた。
「けれど、それでは『社会に自分が何かしている』という感覚を得ることはできなかった。どうにか社会を変えようとしている人々に会いたいと思った。そして、それは『左翼』って呼ばれているような人だった」
こう考えたタカイは、終戦記念日にデモをしている集団の中に飛び込み、シュプレヒコールをあげていた。その集団がAだった。
活動に参加した当初は、それほど熱心に活動する気はなかった。それは、「自分が平和主義者であって、『暴力革命』とかそういう怖いことまでは」という躊躇があったからだ。
「気持ちが変わったのは、戦後自民党政治の権化とも言える安倍政権が倒れたとき。仲間からメールがきて『安倍政権を倒した』っていう文があって、自分が運動を通して社会をつかんでいるんだぞっていう。『倒れた』んではなく『倒した』んだっていう、自分勝手な解釈だと言われてしまえばそうかもしれないですが、その感覚、主体性のあり方に心が動いたんです」
タカイがデモをしていてはじめて逮捕されたとき、実家から来た親がガラス越しに発した「お前はAにだまされてんだ」という言葉に、泣きじゃくりながら「うるせー!」と返答した。
「自分の全人生をかけられることでないと、やる意味がない」
そう語るタカイに対し、今では両親も「自分で決めたことなんだから」と一定の理解を示しているという。そして、「平和に暮らすというのは、現状肯定でしかない。現状を乗り越えるために戦いたい。そのためには『物理的な武装』だっていとわない」と、彼は拍子抜けするほど「爽やか」に語るのだった。
「クリーンなNPO」に潜む闇に気づかず入会
また、こんなこともあった。
「どうしてここに来たんですか?」
直前まで、デモの先頭で帽子にマスクをして顔を隠しながらも、ひときわ目立つ大きなシュプレヒコールをあげていた、都内の有名大学に通っているという若者が私に声をかけてきた。
今から3年ほど前、ここ最近の社会運動の盛り上がりなど予想し得ない「冬の時代」らしい雰囲気のなかだったが、若い世代の社会運動離れが進むなかで「左翼」がいかなる状況にあり、どのような活動をしているのか、そこに今から集う人々は何を思っているのか取材しているんだ、という旨を答えた。そして、「先頭で拳振り上げて叫んでいたけど、Aで腰据えてやっていくつもりなの?」と尋ねると、その若者の口からは「迷っているんです」と、先ほどのシュプレヒコールの勢いを感じさせない、自信のなさそうな声が返ってきた。
かねてから社会問題に興味があったというその若者は、所属する大学を拠点に活動するNPOに顔を出すようになった。表面的には平和や労働、環境といった社会問題の解決を看板に掲げた「普通の人」による団体。しかし、実際に中に入ってみると、時に異様な雰囲気を醸し出すことに気づいていった。
活動に参加した当初こそ、団体のメンバーは、優しくて良い人、社会問題の解決に使命感を持っている人のように見えた。そして、具体的な行動を起こして、外部のNPOや研究者などと協力して成果をあげていることに、「ただ勉強会だけやったら終わりという大学の勉強会サークルの一歩先を行き、尊敬できる」と思っていた。ところが、外から見える「クリーン」な表情の裏には、対称的な闇が潜んでいた。
例えば、構成員でありながら、内部の論理に疑問を持つことは許されない。仮に、その疑問を表に出そうとすれば、あらゆる制裁が待っていた。幹部たちとの「話し合い」は半ば軟禁状態において行われ、長時間に及ぶものになる。構成員が一人の人間を取り囲み、「お前は間違っている、間違っている、間違っている……」と、同じ言葉をかけ続ける「儀式」も存在する。
また、活動への迷いを抱いていそうな者が、脱退した者への盗聴を強要されたという話も聞いた。当然、「お前もそうするぞ」と言われているような恐怖感を感じた。さらには、活動費として学生にとっては高額な寄付金の支払いを求められ、「そんなの聞いていない」と口にすることもできず……。
その「クリーンなNPO」に見える団体は、実は、公安のマークもついたカルト的な新左翼・「過激派」の一党派だった。