「普通の市民」と「普通の市民ではない」活動家が共存

 冒頭の「どこか“慣れた”様子が感じられる」彼らが、いわゆる「普通の市民」なのか「普通の市民ではない」のかといえば、「普通の市民ではない」のだろう。彼らは警視庁公安部、各道府県警備部や公安調査庁などが「過激派」としてマークし続けており、また「暴力革命」を否定し、議会制民主主義に則った政治を肯定する諸政党が、「極左暴力集団」と呼んで忌み嫌う新左翼党派に属する者たちの集団なのだから。

 もちろん、「普通の市民ではない」彼らは、昨今の脱原発に関するデモやその周辺に存在する社会運動を構成する群集全体から見たら、圧倒的マイノリティだ。彼らの存在をことさら過大に強調することは適切ではない。ただ、彼らをはじめ、「普通の市民ではない」者たちがそこにいることは間違いない。そして、彼らは「一部の特殊な人」として、すでに「普通の市民」とされる主流勢力、そこにいるマジョリティからは、嫌悪の眼差しと排除を望む言葉を投げつけられてもいる。

 繰り返すが、全体からすれば彼らは圧倒的なマイノリティであり、主導権を握る立場からは遠く離れている。彼らがデモに存在しているからといって、「そこにある群衆は『普通の市民』の集まりである」と賞賛する声に対する否定にならないことは確かだろう。

 いつしか散開の時間となり、「普通の市民」の多くが充実感と共に、家に、週末の飲み屋へと流れていく。そして、「普通の市民ではない」彼らも帰路につく。新左翼党派、すなわち「過激派」「極左暴力集団」Aの公然アジトへと。

街中にひっそりと佇む「過激派」Aのアジト

「内ゲバ」「テロ」「殺人」「洗脳」「公安」……。

 今の時代、「過激派」と耳にして、その具体的な集団名を、そこに所属する者たちの姿・形を、どれだけの人が思い浮かべられるのかはわからない。しかし、仮にそれをできる人々が少数になってきているとしても、彼らにおどろおどろしいイメージがつきまとうのは確かだ。Aが存続する限り、その名が背負い続けるかつての凄惨な「革命運動」と殺し合いの重い歴史が、それぞれの言葉と彼らの結びつきを裏付け続ける。

鉄板にはガサで焼き破られた痕跡が残る

 指定された駅に現れたのは、事前に顔合わせしていたAの構成員マエノだった。駅から目的地まではタクシーでの移動。他愛もない話をしながらも、マエノは「~の交差点まで」「~を曲がって」と何度か指示を出し、タクシーは大通りから伸びる路地に入っていく。

 そして、意外なほど「普通の街中」でタクシーは止まった。一見すると何の変哲もない建物。しかし、鉄でできたその入口を前にして、そこに宿る、すでに結成以来半世紀ほどたったその党派の歴史の重みが、私に今までに経験したことのない緊張感を与えた。

 身元の確認が行われ、扉の鍵が内側から開き「過激派のアジト」の中へと足を踏み入れる。それは紛れもなく、「過激派」や「極左暴力集団」と呼ばれるAの公然拠点、「過激派のアジト」だった。