コロナ以前から社会の重要課題だった『格差』

 あーちの運営や研究活動を続けるさなか、ウィズコロナ、アフターコロナの時代を津田教授はどう捉えて、“多様な人の関わりが生む学び合い”のテーマに向き合っているのか。

「コロナは社会のいろいろな物事を加速させました。インクルーシヴな社会の創成という観点からは、格差拡大の加速、正常/異常の境界の再編の加速、人生観の変化の加速、地方の価値回復の加速です。『格差』は、コロナ以前から日本社会の重要課題でした。なかでも、子どもの貧困や教育格差の問題は、インクルーシヴな社会に逆行する問題であり、貧困問題の深刻化は、これまでと異なる新しい制度を要請しているように感じます。貧困に落ち込んだ人が希望を失う社会であれば、そうした社会を作った制度の責任が大きく、窮地に追い込まれた人たちが希望を見いだすことができるよう、社会が不断に働きかけていく努力が不可欠です。

 また、障がいの有無・年齢・性別・国籍といった属性での排除は終わりに近づいています。障がい者であっても社会に貢献できる能力があれば、ひのき舞台に立てる時代になってきています。

 しかし、その一方で、能力や意欲が乏しい人たちは劣位に置かれ、多くの人は、そうした人たちが劣位に置かれることに違和感を持たないでしょう。むしろ、社会のお荷物だと非難するかもしれません。役に立つ/役に立たない、貢献できる/貢献できないことを基準として生きる希望を奪う社会の “歪み”に対しては何らかの手だてが必要です。

 多数の人々が未来に希望を見いだすことができず、自分より弱い立場の人を探し、激しく攻撃することで自分の存在価値を保とうとするディストピアな世界を、私は想像してしまいます」

ウィズコロナでも、誰も置き去りにしない「あーち」という空間「よる・あーち」はじめ、あーちが行うプログラムには、たくさんの子どもたちが参加している。 写真提供:あーち

 ダイバーシティ&インクルージョンを社会が実践することで、属性による区別や差別意識は次第に薄まっていくだろう。その半面、能力の高低で人が選別されていくような未来に津田教授は警鐘を鳴らす。はたして、ウィズコロナ、アフターコロナの社会では何かの光明があるだろうか? 

「希望は、まず、地方の価値の見直しです。在宅勤務が広がり、コロナ禍以前に比べて、都市と農村の境界が曖昧になりました。都市に対する農村の復権は、中央に対する周辺の復権を意味します。私自身は、障がい者コミュニティという『周辺』が『中心』社会にもたらす影響力…たとえば、特別支援学校が通常学校に与える影響力に注目しています。周辺の価値が中央の価値を揺さぶり、それによって社会が革新を遂げていくシナリオです。

 もうひとつの希望は、私たちの人生観・幸福観の変化です。コロナ禍で、『持つ』ことよりも『ある』ことの意味深さを多くの人が考え、『所有を広げていくことが幸福のかたち』と思っていたことが見直されて、各人が自分なりの幸福を実現できる社会になりつつあるのではないかと希望的に観測しています。『自分なりの幸福を探すことが、生まれてきたことの意義』という意識が強くなり、『自分なりの幸福』が重視されていくのではないかと。

 あーちの取り組みは、まさにこうしたアフターコロナの社会にひもづいています。第一に、周辺に位置づけられていた価値に焦点を当てる取り組みだということ。第二に、『誰も取り残さない』というSDGsとコンセプトを共にする取り組みだということ。第三に、『自分ならではのビジョンで歩む生き方』をサポートする取り組みだということです」