丸田芳郎花王社長、樋口廣太郎アサヒビール社長
 丸田芳郎(1914年12月16日~2006年5月30日)は71年から19年間、花王の社長を務めた。「ビオレ」「バブ」「メリーズ」「アタック」「エコナ・クッキングオイル」などのヒット商品を次々に発売。さらに「ソフィーナ」で化粧品事業にも進出し、花王をトイレタリーで国内1位、化粧品では国内2位の企業に育てた。花王石鹸から花王に社名を変更し、業容も規模も飛躍させた“中興の祖”と呼ばれている。

 一方、樋口廣太郎(1926年1月25日~2012年9月16日)は、86年に住友銀行の副頭取からアサヒビール社長に転じた。そして社長就任早々の87年、「アサヒスーパードライ」を世に送り出す。当時のアサヒビールは、ビール大手4メーカー内で長年にわたってシェアを落とし続けた結果、4位のサントリーに近づき、最下位転落目前だったが、「スーパードライ」のヒットによって劇的に売り上げを伸ばし、88年にはサッポロビールを抜いて2位に急浮上した。生え抜き社長ではないが、やはりアサヒビールの中興の祖と呼ばれる人物だ。

 この2人が、1987年12月26日号の「週刊ダイヤモンド」で、翌88年を占う新春企画の体裁で対談。ヒット商品の連発で飛ぶ鳥を落とす勢いの両雄が、商品開発と国際化、情報武装をテーマに語り合っている。

 丸田が特に強調しているのが国際化。イタリアに行った際、現地の子供たちが日本の漫画を読んでいるのを目の当たりにし、自由主義経済の国は同質化が始まっているのを実感、この同質化の中で、「日本の中にいて“アタック”が売れたなんていっていてもどうにもならない」と語っている。研究投資、情報投資についても、国内市場1億2000万人を分母にして考えるか、世界市場を想定するかでコスト負担の様相が変わってくる。その方向づけが重要だという。

 樋口の発言で興味深いのは、後半に出てくる「先人の碑」の話だ。「先輩に感謝を持っている会社は必ず伸びる」という考えの下、物故者の供養塔を建てているところだと話している。キリンビールも同様の供養塔を持っているし、樋口のいた住友銀行も京都に住友系の物故者を祭るお堂を持っている。そうした例に共感したのだという。そして、この対談の4カ月後、大阪府吹田市にアサヒビールの「先人の碑」が2本建った。右は原材料メーカー、問屋、飲食店などの取引先・顧客の霊、左は物故社員の霊を祭った供養塔だ。春秋2回の例祭でのお参りにとどまらず、樋口は本社内にもミニチュアの供養塔を祭っていたという。

 対談最後の話題は、日本人の「働き過ぎ」批判について。丸田はこれに「働くことの中に人生がある。仕事に真剣に立ち向かうことで家庭生活も良くなる」と持論を展開。それに樋口が、そのためにも「会社というのは経営理念がしっかりしていないと駄目だ」と受け、「結局、職場は道場だ」と表現する。丸田は「その通り」と同意し、われわれは、一つの世界像に対して精進する“僧”であり、だから「生活と仕事を一体化しよう」との考えを披露している。供養塔の話題からのためか、最後は2人の経営論が多少、宗教的な趣を帯びてくるのが面白い。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

ニーズを的確につかみ
消費者の夢を実現する

――1988年は企業が持つエネルギーをいかに全開させるかが注目点だと思う。そこで企業パワー全開作戦について。

1987年12月26日号
1987年12月26日号より

丸田 われわれのところは“今年は”というものはないんです。ですから、早くいえば年の変わり目もなければ、暮れもない、正月もないという具合です。

 ただ、わが社の製品は大衆消費物資ですから、長期の関連の中でいかにして消費者に奉仕するかということになると、景気・不景気にもあまり煩わされない。ですから、景気が良くても悪くても消費は同じような基調をたどっていますから、長期の中においてどのような方法を取るかという考え方ですから、あまり新年に張り切れという演説もなければ……(笑)。そういう点では、極めて地味なんです。