人種差別問題につきまとう2つの暗殺

 人種差別問題がここまで尾を引いているのは、奴隷解放と公民権運動という過去の2つの大きな出来事でリーダーが暗殺され、目的が歪曲化されてしまったためだと感じます。

 1865年にはエイブラハム・リンカーン大統領が暗殺されました。

 あとを継いだアンドリュー・ジョンソン大統領は、もともと奴隷制を支持する南部の民主党議員だったこともあり、公民権法制定には拒否権を発動して「Black Codes」と呼ばれる黒人差別の州法を認めました。

 1968年にはロバート・ケネディ元司法長官が銃殺されました。

 公民権法の成立に尽力していた兄のケネディ大統領が暗殺された1963年の後、大統領職を引き継いだのはリンドン・ジョンソン大統領でした。彼も南部のテキサス出身で黒人差別を当然のように受け入れてきた上院議員で、彼から公民権法改正に注力すると説明を受けた南部の支持者たちはひどく驚いたと言われています。彼の場合、公民権法の改正などで法的に黒人の人権向上に努力しましたが、実質的な差別は消滅させられませんでした。

「なぜあなたは私を嫌うのか」と上院議員時代のリンドン・ジョンソン氏に問われた際、ロバート・ケネディ氏は「我々は見ている世界が違う」と答えました。ロバート・ケネディ氏は、差別を解消するには黒人の人権の法的な保護だけでなく、生活水準の改善が必須と考えていました。先の回答は、そもそも黒人差別の撤廃に関心のない南部の上院議員に対する、ロバート・ケネディ氏の痛烈な皮肉でもあったのです。

 ロバート・ケネディ氏はマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が暗殺された1968年4月、民主党の大統領予備選の最中に、クリーブランドのシティクラブで5分程度の短い演説をしました。その中で、黒人差別と生活水準について鋭く指摘しました。聴衆の中には涙を流す人も出るなど、会場総立ちのスタンディング・オベーションが起きたそうです。

 ところが残念なことに、彼もその2ヵ月後に暗殺されました。黒人問題を解決する可能性を秘めた人物が次々にいなくなってしまったのです。