「1000万円懸賞」で打倒ハリスを達成

 61(昭和36)年4月16日。ついに、ロッテが念願とした、ハリスの売上高を抜いて、ガムメーカー日本一の座を獲得する“最終兵器“が投入される。

「広告費を節約することは節約ではない。売り上げを減らすだけだ。原価や製造過程でコストを節約することが節約だ」という“広告哲学“を抱く重光が打ち出したのが「1000万円天然チクル記念セール」だった。

 これは、ガムについている応募券を送ると、抽選で1人に東洋信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)が発行する1000万円証書(2年据え置き)が当たる、文字通りケタ違いの巨額懸賞だ。加えて、現金100万円を当選者が指定する学校に寄付する副賞もついていた。当時の平均月収が2万5000円程度だから、現在なら1億数千万円に相当する額だ。

 朝日、毎日、読売の大手3紙や地方紙など38社の日曜朝刊に一面カラー広告を出し、テレビやラジオのCMでも一斉に告知広告が流された。東京、大阪、名古屋、福岡、札幌を走る電車内に吊り広告を出し、全国に60万枚のポスターと100万枚のチラシがまかれた。

 この反響は凄まじかった。「警察が、本当に賞金を払うのかと言いながら2回ほど状況を見に来た」というロッテ幹部の談話が雑誌に載るほどだった。結果を先に言えば、最終的に201万通の応募があり、総応募口数は760万(1口100円分)にも達した。これは予想の10倍以上だった。ちなみに当時の日本の人口は9456万人である。応募券を得るための商品購入が殺到し、工場が24時間フル稼働しても殺到する注文に応えきれない状況が半年以上も続いた。

 一方で、公正取引委員会が調査に動き始める。1000万円もの高額懸賞は日本では初めてのことであり、公正な競争の確保と一般消費者の利益保護という独占禁止法に抵触するのではないかと懸念したからだ。この動きを察知したマスコミが報道合戦を繰り返したことで、広告費用をはるかに上回る、一説には十数億円もの宣伝効果がもたらされた。

 この間のロッテとハリスのガムの売上高を比べてみると、55(昭和30)年にロッテ10億円に対しハリスが24億円と2倍の差があったが、59(昭和34)年は22億円と30億円とロッテが倍増して、1000万円懸賞のあった61(昭和36)年にはついに47億円と33億円と大逆転した。63(昭和38)年には88億円と28億円とその差は3倍以上に拡大し、翌64(昭和39)年1月、病に倒れた創業者が引退を決めたハリスは創業時に軒先を借りていた鐘淵化学工業に吸収合併され、カネボウハリス(現・クラシエフーズ)として再起を期すことになってしまった。かくてロッテはガム業界1位の座を不動のものにしていった。

 61年11月27日に1000万円懸賞の抽選を終えるとすぐに重光は、ロッテの販売力強化のために分社化したロッテ商事の役員2人を米国と欧州それぞれに「観光を兼ねた業界視察」へと送り出した。ただし、悲願の業界1位獲得に貢献した幹部へのご褒美というわけではない。

 すでに重光の頭の中には、「打倒ハリス」に続く次の目標、「打倒森永製菓・明治製菓(現・明治)」が描かれていた。重光は「製菓業界の重工業」と呼ばれたチョコレート製造に参入するための調査に幹部を送り出したのだ。重光は派遣する幹部にこのように訓示した。

「ガムだけで社業を維持していけるのは、あと5年くらいが限界ではないだろうか。その時のためにもわれわれは、チョコレート市場に打って出なければならんのだ」

 風雲急を告げるロッテのチョコレート参入は次回以降の本連載で詳しく説明しよう。(続)

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