出光興産創業者・出光佐三
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 前回に続き、出光興産の創業者、出光佐三(1885年8月22日~1981年3月7日)による手記である。「上」の解説で触れたように、出光は終始一貫して「人間尊重」の経営を説いた。また、「大家族主義」「独立自治」「黄金の奴隷たるなかれ」「生産者より消費者へ」といった言葉で、出光興産に独特の社風を植え付けた。

 第2次世界大戦が終わり、戦地から1000人もの社員が復員してきたときに、常々「出光興産は人間が資本だ」と言っていた出光は、「資本が帰ってきたのだ」と考えた。当時は出光自身、無一文どころか借金を背負っている身で、しかも戦前同様に石油業を続けられる保証はなかったが、一人も首を切らないことを誓い、ラジオの修繕業から再スタートした。

 英国の石油メジャーに反抗して、イランにタンカーを送り込んで極秘裏に石油輸入を行った「日章丸事件」にしても、あくまで「人間主義」に基づいており、「人間は国家、社会のため、国民のために働く」という考えから、「自分の微力のことは忘れてしまってめちゃくちゃをやり出した」と冗談めかして言う。確かに、英国艦隊の海上封鎖を突破して独力で石油を買い付けてくるなど、破天荒極まりない。

 出光は神戸高等商業学校(現神戸大学経済学部)の恩師、水島銕也から「士魂商才」すなわち、武士の精神と商売人の才能を併せ持つことを学んだ。菅原道真の「和魂漢才」をもじって、かの渋沢栄一が遺した言葉とされるが、まさにそれを地で行く経営者といえよう。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

出光は人間が資本
一人も馘首せず

ダイヤモンド1954年12月3日号
1954年12月3日号より

 私は戦時中に陸軍の石油政策に反対して、海外に追っ払われた。海外に出たところが現地の人は出光のやり方を非常に礼賛した。陸軍本省はある理由の下に出光をいじめ倒したけれども、現地の人は出光のやり方を非常に礼賛し活用した。しまいには大陸、南方全地域を出光のごく少数の人でやった。

 終戦後、兵隊に行っていたとか、軍属で行っていたとかいう者が1000人余り帰ってきた。そのときは無一物であった。私は265万円の借財を持っておった。だから財産税(終戦直後に行われた個人の金融資産に対する課税)はビタ一文も納めていない。内地で借りた金を向こうに投資してそれがゼロになったのだから。

 復員してきた人を見て私が考えたことは、「出光は人間が資本だ。だから資本が帰ってきたのだ」。金は誰かが貸してくれると思った。

 しかしそれは甘かった。敗戦だから前のような同情はない。「人間らしくとは何ですか。国家のために働く、だから金を貸せとは、何ですか。国家のために働く人間が何ですか」というようなことを平気で銀行が言う。