異例ともいえる倉石誠司副社長の留任

 こうして4月から三部ホンダ社長就任で新体制がスタートするわけだが、これも異例ともいえるのが倉石誠司副社長の留任だ。

 倉石副社長は6年前、八郷社長就任とともに中国現地法人から抜擢され、この間、実力派副社長として八郷体制を支えた。特に四輪事業の立て直しでは、四輪事業本部長も兼ねて収益強化に取り組み、ともすれば地味な八郷社長よりも強い個性を発揮してきた。

 ホンダにはかつて、創業者の本田宗一郎氏を支えた藤沢武夫の存在があった。それ以降、「技術屋」と「事務屋」のコンビで経営を担う伝統があり、社長は“ホンダの本家”ともいえる本田技術研究所社長を経験した「技術屋」が担い、営業・財務などは「事務屋」が支えるという流れがあった。

 周知の通り、八郷社長は研究所出身ではあるが、研究所社長を経験していない唯一のホンダトップである。

 ところが、今回、研究所社長を兼務していた三部専務の昇格で「本流回帰」となったわけである。

 本来ならば、三部新社長体制で副社長以下も一新するのがこれまでのホンダトップ交代だった。

 あえて中国に強い倉石副社長の留任を三部新社長が望んだのか…。

 ともかく、三部・倉石の新経営コンビで継続されることになり、三部体制での倉石副社長の役割と動向も注目される。

 かつてホンダ創業者の本田宗一郎氏は「おやじ」と呼ばれ、一方の藤沢武夫氏は「六本木のおじき」と呼ばれて、社員に親しまれていたのだが…。

新体制でチャレンジ力をどう発揮していくか

 この三部ホンダ体制は、6月の株主総会でガバナンス(企業統治)の強化に向けて指名委員会等設置会社に移行する。

 八郷社長は取締役も退任する。これにより、神子柴寿昭取締役会長・三部敏宏取締役代表執行役社長・倉石誠司取締役代表執行役副社長の新体制に移行し、神子柴会長は次期自工会会長の任にあたることになる。

 いずれにしても、かつては「米国一本足打法」とまで言われたホンダだが、最近では中国に重心が置かれ、日本では「軽自動車メーカーか」との見方も出ているほどで、かつてのホンダらしさは薄れている。

 川本・吉野・福井社長時代は「トヨタ、何するものぞ!」との気概を示すほどトップの個性が強かったが、今やMaaS対応ではトヨタとの連携も図っている。

 ホンダが三部新体制で本来のチャレンジ力をどう発揮していくか、注視していきたい。

(佃モビリティ総研代表・NEXT MOBILITY主筆 佃 義夫)