例えば、今国会の承認に関連する人事案について筆者は、野村アセットマネジメントの社長である中川順子氏を日本銀行の審議委員に任ずる人事には大きな疑問を持つ。中川氏の個人的な資質を問題にしているのではない(これもチェックされるべき問題だが)。日銀の上場投資信託(ETF)保有額から、少なく見積もっても100億円を超える大きな利益を得ている会社の社長を、ETF購入の増減を含む事項を審議する日銀の金融政策決定会合のメンバーに起用する人事は、利害関係を考えるとどう考えても不適切だということだ。

 仮にこの問題について国会で質した議員がいた場合に、政府は「人事の問題なので説明を控える」とか「総合的・俯瞰的観点から判断した」と述べて、回答をはぐらかすのだろうか。

「人事の問題は説明しなくてよい」という原則を認めるべきではない。国会議員やマスコミの人々のような「実質的に内輪の人々」が認めるとしたら、これを見ている国民の側は大いに異議を唱えるべきだ。

「人事」で官僚をコントロールするなら
政治家にはチェックの仕組みが必要だ

 菅義偉首相は、政治家が官僚をコントロールするためには「人事(権)」を使うことが有効だとの考えを持っているようだ。筆者もこの点には賛成する。「政治家は人事に触らない」ということが原則なら、政治家が官僚をコントロールすることなどほとんど不可能だろう。

 しかしそれは、政治家が説明責任抜きの好き勝手に人事を決めていいということを意味しないはずだ。人事を決めた政治家の側も十分チェックされる仕組みが必要だ。

 リスクに敏感なはずの総務省幹部の官僚が、許認可に関連する衛星放送関連会社の東北新社や、携帯電話の通信料金が問題な時節のNTTといった、「リスクに見合わない相手」との会食に応じたのはなぜか。先週の本連載の記事『総務官僚がNTT・東北新社を「接待する側」だったと考えられる納得の理由』でも書いた通り、その理由は、東北新社の場合は「長男の父親」、NTTの場合は「携帯料金の引き下げを目玉にしたい政治家」が持つ、自分の人事への影響力を期待したか恐れたかのいずれかに違いない。高級ワインくらいで人生を棒に振るリスクは負えない。