心配する母親たちに、筆者は「現時点での御地の放射線量で心配する必要はないと思いますが、この先どうなるのかはわかりません」と前置きして、「ご不安で、頼れる先があるのでしたら、子どもさんたちだけでも、春休みの間は余震が来ない地域で過ごさせたほうがよいかもしれないと思います」と答えていた。避難や転居の必要が「結果として、なかった」と言えるかどうかは、その時点では誰にもわからなかった。

 松本さん、そして自主避難者たちの選択を考えるにあたって、「その時点で」「その地域で」という視点をなくすことはできない。2011年春から夏にかけ、大小の余震が続き、福島第一原発の今後が全く予断を許さない中で、各個人が総力をあげて情報を収集した。そして、各々が「これが最も悪くないのではないか」と思われる選択をした。

「自主避難は自己責任」論で
被災者を苦しめる政策の無情

 10年後の現在から振り返ってみると、「郡山なら、留まっていても大きな影響はなかったかもしれない」と言えるかもしれない。「市街地の除染が終了したら、すぐ帰還」という選択肢もあったと言えるかもしれない。しかし、慣れない土地に自主避難し、その地域で通学したり就労したりして、そこに生活基盤が少しずつつくり上げられようとしているときに、その人々に「さあ帰還を」と求め、実質的に住居費を高騰させるという政策施策には、どうしても呑み込めないものが残る。

 住居は、重要な基盤である。「ここに、いつまで住めるのか」という不安を与え続けることは、適切なことだろうか。災害の被災者であったり、災害の影響で住み慣れた地域を離れる判断を半ば強いられたりした人々に、不安を与え続け、充分な援助をせず、さらに「自主避難は自己責任」論で苦しめることには、どのような正当性があるだろうか。