当時、妊娠して避難した人もいた
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2017年3月で福島から自主避難している人たちへの住宅無償提供が終了した。家賃負担は重く、避難生活を続けたいのに、福島に帰らざるを得ない人も多い。原発事故後から8年目の避難生活を送る人たちへの支援が減る一方で、今どんな気持ちで生活しているのか、何を必要とされているのか。自ら避難し、孤立しがちな他の避難者たちをサポートする側に立って活動する人たちに話を聞いた。(取材・文/フリーライター 大藪順子)

避難後に孤立
必要だった「話せる場所」

「最近、放射線の安全説を聞く機会が増えてきましたね」

 むさしのスマイ代表の岡田めぐみさん(36歳)は、心配そうにジュースを飲んだ。

 2011年3月11日以後、3歳と1歳の子どもを連れて東京に避難した。お腹には3人目を妊娠していた。自分の被爆が胎児にどのような影響を及ぼすのか、とにかく不安で福島を離れた。都営住宅に入れてもらえたが、そこには小さな子どもがいる世帯がなく、ふと気づくと新しい生活の中で孤立していた。

 そんな時、東京都助産師会による東日本大震災の被災妊産婦を受け入れていた「東京里帰りプロジェクト」(現在は終了)を知り連絡。同じように出産を控えた人や、小さな子どもを持つママたちを紹介してもらい、さまざまな交流会にも参加するようになったが、自分が避難生活を送る武蔵野市にいる他の避難者とはなかなか出会えないでいた。

 避難生活がいつまで続くのかわからない。

 先が見えない中で子育てし、孤立している被災者たちが武蔵野市にもいるはずだ。そんな人たちが集まり、ゆっくり話ができる場所づくりをしたいと、地域のママたちの協力も得て団体「むさしのスマイル」を立ち上げたのが、1年後の2012年。