夏のパリみたいな陽気の福祉プロジェクトを考えた

 書籍では、社会におけるマイノリティとして、障がいのある人についても多く語られている。広告業界の澤田さんが福祉の世界に足を踏み入れたきっかけは、視覚障がいの子を持つ親になったからだという

見えない子って、どうやって育てたらいいんだろう。なにをすればいいんだろう? どう働けばいいんだろう? 32歳にして僕は、今まで拠り所にしていたやりがいをすべて失い、「からっぽ」になってしまったんです。僕は上司に息子のことを打ち明け、それまで担当していた仕事を9割減らしてもらい、息子との向き合い方を探すために、障害当事者を訪ねることにしました。それは、僕ら夫婦のためです。家に帰って、「今日はこんな素敵な視覚障害者の方がいてね……」って、毎日グッドニュースを届けるみたいに、妻にその日会った人の話をしていました。そうでなければ乗り越えられなかったし、なにか少しでも、そこにヒントが転がっていればいいと思っていました。200人を超える人たちと出会い続ける日々の中で、光を照らしてくれる話を聞きました。片手で使えるライターと曲がるストローは、「障害のある人と共に発明された」という話です。

(本書より)

澤田 息子が生まれるまで、僕は福祉の世界のことをまったく知りませんでした。でも、障がい当事者のみなさんと出会うことは、「Unlearn(アンラーン=学びなおし)」そのものだったんです。

 諸説はあるようですが、ライターは「マッチで火をおこすには両手が必要だから、片腕の人でも火をおこせるようにしよう」というアイデアからいまの形になった……それがいまでは、障がい者とか健常者とか関係なくみんなが使うものになっている。つまり、いわゆる「社会的弱者」は「発明の母」になり得る、と知ったんです。最近ではスマートフォンやコンビニのATMもそうだった、という話も知りました。

 この話を聞いて、僕はすごく楽になったんです。「できないことがあるのは当人のせいではない。社会のほうを変えればいいんだ」と思えたからです。

 息子に障がいがあると知ったとき、絶望的な気持ちになりました。それは、「障がいがある=かわいそう」という刷り込みが僕の中にあったからです。けれども、「待てよ」と心の中でつぶやきました。「片腕しかない。マッチの火をおこせない。絶体絶命だ。でも、気づいたら仲間が現れて、ライターという超発明が生まれた。なんて鮮やかな逆転劇なんだ……」って。

 自分の仕事に活路を見出した気がしました。同時に気づいたのは、「障がい者は企業のマーケティング対象から除外されている」という事実でした。僕は広告会社で10年以上働いていましたが、障がいのある人の意見を聞いたりしたことがなかったんですね。心身に障がいのある人の数は、全国で960万人以上と言われている。それなのに、はじめから除外されているのはもったいない。

 障がい当事者を含めた、いわゆる「マイノリティ」の方が持つ課題や価値に、もしかしたら自分の「広告的なやり方」で光を当てられるかもしれない、と思い始めたんです。

 そこから澤田さんの怒涛のプロジェクトラッシュが始まった。日本ブラインドサッカー協会につけたキャッチコピー「見えない。そんだけ。」。いわゆる、福祉アイテムである義足を、ファッションアイテムに再解釈する「切断ヴィーナスショー」。視覚障がい者が「横断歩道を勇気と度胸と勘で渡っている」という話を聞いて開発した、ボディシェアリングロボット「NIN_NIN(ニンニン)」。ユナイテッドアローズと立ち上げた、ひとりの身体障がい者の悩みから新しい服をつくるレーベル「041(ALL FOR ONE)」……。さらには、障がい者だけでなく、高齢化する社会を逆手にとった音楽グループ「爺-POP」のプロデュース。言ってしまうと、そのどれもが、「福祉らしからぬ」イメージを持つ。

澤田  “同情票集め”にはしたくなかったんですよね。「障がいのある人が頑張って作りました」「目の見えない選手が一生懸命やっています」と伝えることも確かに大切です。でも、「だから買ってくれませんか?」「だから支援してくれませんか?」とお願いして、同情心から1回は買ってくれても、2回目ってあまりない気がするんです。

 反対に、障がいのある人のモノづくりに対して、「障がいの有無は関係ない。純粋にモノのクオリティで売っていく」という動きもありますが、それはそれで力が入りすぎて、仕掛けている人が疲弊しているのを見ることもあります。

 ごはんにたとえれば、同情を買うのも、障がいをメッセージしないのも「カロリーが高いのでは?」と。みんなが間食程度で接する「ローカロリーな福祉プロジェクト」があってもいいのでは?と思ったんです。

 僕がやっていることは、基本、熱くやっているので温度は高いです。でも、同情や泣きの要素はなく、湿度は低い。夏のパリみたいな天気のイメージです。

 もともと、僕自身に福祉への関心がなかったということが、そうした姿勢をとっている理由です。泣きの福祉や肩に力の入った福祉だけでは近寄ってこない人もいると思うので、湿度は低く温度は高く、そして、なるべく楽しく脱力系のプロジェクトを生み出すのが僕のいまの仕事かなと思っています。