ワールドクラスの屋台骨を支える“中核”人材の戦略思考や多様なキャリアをアマゾン、ユニリーバ、タタの例で見てきたが、従来のビジネス形態に大きな変化が起きるなか、みな一様に、秀逸な適応力を発揮している。変化の速い環境で、彼らのように組織に貢献する中核人材となるには、20代、30代でどういう経験を積めばいいのか。インド最大の製薬企業、サンファーマの田中伸一ファイナンス本部長が、一つの業界でプロフェッショナルとしての力量を備えるために30代で考えたキャリアのフレームワークは参考になる。(マネジメント・コンサルタント 日置圭介)
戦闘力を高め続けてきたキャリアヒストリー
日置圭介 田中さんが初めて転職したのは30代半ばですが、ゼネコンから製薬業界へと、ずいぶん思い切った決断をしましたね。
田中伸一氏
京都大学法学部卒業。ワシントン大学修士課程修了(MBA)。GEヘルスケア、ノバルティス、GSKなどを経て、2018年6月より現職。CFOがカバーする領域でのジョブポートフォリオを意識しながら転職を重ね、主に製薬業界において、それぞれの国籍が異なる企業数社での勤務経験を持つ。
田中伸一 いま振り返れば、若いからできた冒険でした。大林組を辞めるつもりはなかったのですが、当時は漠然と仕事を通じて社会貢献をしたいという夢があったんです。でも帰国してそれとは程遠い仕事に忙殺され、しかも意思決定層に昇進するまで10年はかかるとわかっていたので堪え難いな、と。それで転職を決意しました。
縁あってGEヘルスケアに入り、2年半後にGEと住友化学のジョイントベンチャーに出向して経理部長を4年間務めました。放射性の医薬品を扱う日本メジフィジックスという企業です。その後、医薬品とジェネリック医薬品のサンド(現・ノバルティス・グループ)に入り、しばらくして一般薬部門に移り、初めてCFO職に就きました。
その後、ノバルティスのOTC(一般薬)部門がグラクソ・スミスクライン(GSK)に売却されて、自動的に私も一緒に売られる形になりまして(笑)。マネジメントのポジションに就けないこともあり、アストラゼネカに移りました。
日置 田中さんのキャリアヒストリーは、日本、アメリカ、スイスをはじめ欧州を経て、現在はインド企業と、世界を網羅しそうです(笑)。
田中 こうして振り返るとグローバル企業の見本市のようで、脈絡なく転職しているように見えますが、自分なりにテーマを持っていました。ジェネリック医薬品、OTCを経験して、次は医療用医薬品だと考えました。それがメガファーマの本流なので、経験を積みたくてアストラゼネカに魅力を感じたのです。
でも、医療用医薬品はサイエンスドリブン。製品の良し悪しが最も重要な要素で、ファイナンス貢献で業績が左右されるという実感が少なかったため、違う市場でチャレンジしたいと考えていたとき、インド資本のサンファーマからご縁をいただくことになりました。
日置 第7回に登場いただいた青島伸治さんや第8回の青山朝子さん、第10回の中村哲也さんもそうですが、キャリアを形成するプロセスがご自身の「戦闘力」を高めていく道筋になっている印象です。外資系の人は転職が多いと思われがちですが、所属する組織を移るというより、いわゆる「エキスパート」としてのキャリアを築くための必要条件と十分条件を常に意識してこられた結果であることがわかります。
田中 そうですね。これまで私がどういうことを意識してきたかを図で説明したいと思います。この図は、20代、30代の方々に参考になるかもしれません。